中国対日感情と大企業の内容

   先日、久し振りに中国ぶらり1人旅をした。数年前まで中国の世界遺産や有名観光地を回ったが中国人旅行者の多さに辟易して帰国したのでした。それからは中国経済が上昇、一般庶民のふところ具合を豊かにしたので衣食住が整えば誰にでも行ってみようとなる訳で、20数年前までは中国人の旅行が禁止されていたことの反動としても飛行機も列車も、バスも超満員で切符の取得もインターネットとなり申込は時間が勝負となるのでした。

 湖海省の世界遺産「張家界」などはケーブルカーに乗るのに2時間待ち、ぞろぞろ5から10列に並ばされ100人ぐらいづつ区切られて乗る時も駆け足で10数人が転んでしまったのも目のあたりにしたのでもう世界遺産は見るのはこりごりとシーズンは避けることにしました。

 北京では中国人は反日感情は悪いと、自分達は日本語が話せるが2人の日本語を話す者もの同士は人前では日本語を話さないとのこととのことだから私にもホテルや街中で大きな声で日本語を話すなと言われました。

 経済状況も不況で不動産価格も下がり気味で、特に一部上場の会社の業績悪化が激しいとのことでした。現在の中国での経済全体の90%以上は元国営企業、共産党幹部の人達が牛耳っていて純民間企業の企業生産額は10%ぐらいだと友人は話していた。そう言えば私が15年位前に帰国した中国人留学生の保証人となっていてその女子学生が帰国して何年のうちに共産党員と結婚、国営だった製茶工場を買収(いくらで買ったかわからないが)みるみるうちに成長、日本のビックサイトで毎年、ブースを使い数年間毎年茶の売込みに来ていたことがありました。そして最近では年商10億円(日本円)の売上げ、億ション8件時価10億を持ったと直接私に話してくれました。これも国営企業を政府筋から安く譲渡されたのでしょう。ところが最近になって上場会社の業績は表向きの株式報告と異なってウソの業績報告の会社が多く、●●●●との話はよく中国人から聞きます。私の中国人友人の1人はこういう情報を察知し、元々丸紅の北京支店で働いて商売のコツを覚えて石炭で大儲け、貯めた金でこういう業績の悪い企業に医療機関の大プロジェクトを売り込むのだそうです。4月に海南省で開かれたアジア経済サミットでアジア各国の政治経済関係の要人が集まるのでスピーチをするとのこと。日本では福田康雄元総理が出席したのでした。

次にフホホトの話

フホホトの街並み

ムスリムの街並み

 

 ようやく昨日ネット予約で1でムスリムのウイグル。

次に吉林省長春での話

友人に北京、フホホトのこと話すと全くオーバーでやりすぎな反応だよと。街の中でも平気堂々と使っていいと友人は言う。元々、満州時代に日本人が多く日本の文化や習慣が多く残っている為か更に吉林大学の日本語学科は最優秀と聞いていたためか問題はなかった。

 こう過ごしてみて肌で感じた反日感情という何だったのか。日本のマスコミの報じ方が悪いのか。中国政府の政策か。というのは中国の貧国層と一握りの富裕層の二極化が進み、貧困層や少数民族の不満がこうじて暴動がよく起こるのは政策の失敗のためですから共産党政権は神経質となり、国内の不満を外国、日本を敵にし不満と外に向けさせるとも言われている。よくやる為政者の手です。

③フホホトにしかないそば

ひつじ肉ひき肉入りの麺つゆで食べる

 

 最後に長春では北朝鮮のレストランに行った処、北朝鮮の歌手が舞台で歌うのを見ながら焼肉や冷麺を食べるのですが、若い女性がウェイトレス、歌手など20人位いたこの店員でした。友人に聞くと、ここに来る北朝鮮の女性は三世代前まで戸籍、思想を調べられて国家の許可のもと出稼ぎに来ているのだそうです。そして中国語をみっちり勉強させられて国家に相当額ピンハネされていながら働いているそうです。料理を注文すると4品注文するといずれも北朝鮮からの食材が無いと断られてしまった。怒った友人は責任者を呼びつけて店主らしき北朝鮮女性に尋問すると理由はその通りでしきりに詫びて果物の大皿大盛りをサービスで運ばせた。しかしさすがに喜び組とはいかなくても美人揃いであった。

 今は脱北者女性は悪質朝鮮族中国人ブローカーの口車にのり金を払って脱北しても中国の遠く離れた四川省や雲南省の40万円ぐらいで売り飛ばされたり、だまされたと解って脱走しても掴まり小指を切られたり、前歯全部折られたり、又、部屋に入れられ売春を強要されたりするのだそうです。北朝鮮のめぐりくる春は遠いですね。

 北朝鮮の人もたくましいが中国人はもっとたくましく生々しいという感じがしました。勢いがあり出会った感覚から昔の貧しい戦後の日本を思わず思い出してしまいました。そして直接会って話してみると貧しさや、問題点など生々しい感覚をもって初めてその人達の生き方含めて自分に引き寄せることが出来、人ごとではない自分と思うが平和ボケと幸運にも日本という国に生まれて良かったとだけではすまない、何も出来ない自分がすみませんと思うだけでした。

フホホトのモスク

特に多いモスク

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【片品村にて】

昨年、見よう見まねで花豆を植えて収穫を得ました。自分の山から4.5mの高さの木を切り出し、インディアンテントのボールのように組立てそれを横にいくつかつなげるようにして二列ぐらいに並べて作ります。その前に畑づくりをします。この作業は特に疲れます。

土木作業でスコップで穴を掘るよりきついのです。中腰で長い時間、同じ姿勢で作業します。1時間や2時間ではありません。少なくとも半日たった15坪くらいの畑です。石ころやゴミなど出てきて丁寧にひとつずつ拾いあげて捨てます。次に黒土を持ってきて20㎝程の厚さに畑に盛ります。そして肥料をまき、ポールを立てて組立て紐でしばります。

その後、ようやく種豆を1mおきに1個ずつ埋めます。

沢山収穫を多くしようとして間隔を短くして種をまくと小さい豆しかとれないと地元農民に注意され忠実に1m間隔で植えてます。しかしこれまで一連の作業は殆ど中腰で腕や足にも力を抜くことは出来ません。休み休みやってもかるい疲労は否めませんでした。畑をつくり耕すとは土木作業よりハードルの高い作業です。不慣れなせいか使う筋肉は今までと全く使われ方が違います。そして相当な知識と熟練が疲れない為には習得が必要なのですね。

慣れれば疲れない痛くならないのだろうが、後継者がいなくなってしまった理由は大よそわかる。隣の昭和村では中国吉林省から農業研修生が多く来ているがきつい仕事を朝から晩まで作業をしています。中国人が来なくなってしまったらどうするのでしょうか。しかし農業だけにかかわらず、いわゆる筋肉労働の物づくりが出来なくなって後継者がいなくなると再びつくることはかなり難しいのでは・・・・。多分、再びつくることは出来なくなることになるかもしれません。いったん途絶えたら取返しがつかなくなるのではないでしょうか。昔は額に汗を流してものを作る人が人口の半分だった明治初期。現在では都市生活者が増えてものづくり人口がどんどん減少し遠ざかっていく。

額に汗して働くのが一番大切ですが家畜を育て、土地を耕し、山に山菜を取りにゆく、大豆を煮て自分で味噌を作る、そして美味しいものは村の外に出さないで自分が食べる。自宅から1㎞以内で取れるものだけ喰ってりゃ間違いはないと言われてきたが本当に美味しいものは自分でつくり自分で食べるのが基本で、余ったら売ってやるとでいいのです。

収穫後に残った青トマト、私の作った特大の花豆、自家製の味噌、釜を沸騰させてから畑へ取りに行ってぶちこむトウモロコシ、自然のなめこしいたけ、本当に美味しいものは自分で食べるべきだ。農業も伝統芸能やプロの職人ワザと同じで身体で覚えるものですねと思い知らされたのですが、覚えている身体が少しづ忘れて後継者が消えてゆく時代です。この先心配は年寄りの冷水ですかね。

昨年秋、花豆大小大きさはまばらですが1㎏位はとれ家族だけで食べてしまいました。

花豆はごとごとと半日も1日も火鉢の上で煮詰めるのでした。馬鹿に煮らせろなどと言われてきましたが、私も美味しく煮ることが出来ました。