当社の別荘管理地のひとつが宮城県の蔵王にあります。3.11の地震では温泉配管が4ヶ所程ちぎれ漏水したものの軽微な影響でしたが、別荘のオーナー様の中には御自宅が宮城県・福島県の沿岸にあり被害を受けられた方々も大勢いらっしゃいます。
震災後の石巻市・気仙沼市・相馬市を見て、自宅を失った人達から直接話しを伺ったりすると想像を絶する状況でした。
① 気仙沼の人の話し
自分は途中まで車で逃げようとしたが、交差点で車が動かなくなりにっちもさっちも行かなくなった。咄嗟に津波警報を思い出し、車を捨てて近くの高台に妻と2人で逃げた。そこに津波が押し寄せたのでした。車も家も生活も全部パーだと思ったという。
顔見知りの人が流されて来る。「何ちゃん!!」と叫んでもどうにもならない。何ちゃんも流されながら自分を見ている。目と目が合っているがどうにもならない・・と。
② 数十分前まで新築祝いで酒食をしている最中に津波にやられた家の跡も見た。家の所有者の思いを想像するだけで痛々しい。
1階がガレージとかで空間がある家で海水が通り抜けた家は残ったとのこと。又、津波が押し寄せて家が壊れるよりも、水がゆっくり増水してくると家屋が浮力で基礎から離れて流れ出すのだそうです。
③ 当社地内の別荘に2つのお骨を置いている人にも会いました。この人は津波が家に押し寄せた時2階に駆け上がった。手を引いていた母親だけは吊り上げるように引っ張り上げ助かったが父親は流されてしまった。出掛けていた妻も津波に呑まれて死亡した。幸い遺体はすぐに見つかったのでここにお骨があるのだと。
④ 仙台市内で不動産業を営む友人の話し
当日、自社ビルで打合せをしていた時、半端な揺れではない地震だと思わず感じた。屋上の水道タンクが落下し少し古い自社ビルもヒビが入り修理代金2,000万円という。それよりも仙台南部荒浜の建売現場、新築住宅数十棟がそっくり流されてしまった。地元のディベロッパーとして最後まで残った会社でいつも強気の70歳になる社長もさすがに落胆の色を隠せない。声にも力がなくなった。「俺の代でおしまいだな。」と小さくつぶやいた。
⑤ ラストは松島の手前、七ヶ浜花淵浜に住んでいた古くからの友人のこと。元漁船の機関長。彼の自宅は波打ち際から100mばかりで高台にあり海は見えるし波の音はいつでも聞こえる位置でした。私の予想ではたぶん家はやられているだろうと思い、生存も危ぶまれたので恐ろしくて電話も出来ない。しかし、行かにゃなるまいと訪ねた。
家が無い。家の基礎と庭石しかない。雛壇式になった友人宅の上部に隣接する家は無事で、玄関に入った海水や泥水を家人がかき出していた。高さが明暗を分けたのでした。恐る恐る友人の消息を聞くと、塩釜市内の娘さんの自宅付近のアパートに無事だと聞き訪れたのでした。
当時、大津波など予想もしなかったが近所に住む孫の1人が車で駆けつけ「何をしているんだ。」と大声で叫び、「爺ちゃん、婆ちゃん、早く!早く車に乗れ!!」と急かされ高台に逃げたとのこと。まあ命だけは助かったのでした。