大震災時の疎開地について――片品村村長千明金蔵氏との対談

きのう片品村役場へ評価通知書を取りに行きついでに千明村長がいたので村長室で二人で1年ぶりくらいで話し合いました。前回は中国の洪水を治めた伝説の禹王について中国の友人、車作實君を連れて片品村村長と面談したのでした。今回は村長から片品村がどれだけ災害に強く安全かということを、地図を見せて貰いながら説明を受けた。
それによると、今後30年以内に震度6弱以上の地震に見舞われる確率は、太平洋側は茨城県南部から四国の室戸岬まで26~100%の確率。特に太平洋の海側に出っ張っている半島部の伊豆・南紀・室戸岬などは確率が75%以上だと村長は言う。
群馬県内で確率が高いのは日本一暑い館林・太田地方。その次は浅間山の裏側の嬬恋村・長野原町が高い。因みに県庁所在地の前橋市はやや高いとなっていた。そして、片品村はほとんど影響ない低さと地図ではそうなっており、片品村は地盤が安定していて水と安全は日本一と自慢していた。
富士山の周囲から飲料水を供給している大都市が多いので、最近不気味な現象の地割れなどが生じている富士山が爆発して水が利用出来なくなると東京などの大都市はパニックになるのは間違いない。そういう時は水と地盤の安全な片品村へどうぞとのこと。「このことをよく説明して、商売の宣伝として使って下さい。」と御教示を受けたのであります。 
また災害を受けた時には、地震の場合は現地で耐えるより疎開が大切であることは福島や宮城で既に実証済です。下水がパンクしトイレも使えない。生活インフラが復旧するまで夏の暑さ・冬の寒さはこたえる。特にオムツ、病人の薬や水・心身に負担大。そこで被災した際などのいざという時の疎開先を下見する旅に出るのも一考ありです。震源地から50Km離れるとインフラは無事、100Km離れると平常な生活が何事もおなかったように続いているのです。

千明金造村長の話が終わったので2期目の村長に、来年の村長選に3期目を狙っているかどうか腹を探るためでもないが、3期目は全国どこでも当選は難しいところが多いので、災害の情報をもらったお返しということではないが、前回の沖縄県知事選挙で2期当選した仲井眞知事の選挙戦略の話をした。
圧倒的不人気・不利の中、相手は沖縄革新のエース池波氏であり下馬評も相手が有利との見方である。そこで仲井間氏は戦術を2つ考えた。ひとつは今までの普天間基地は沖縄県内に移設と、県外移設の主張を変えて争点をぼやかしてしまった。もうひとつは投票日。期日前投票に目を付け大量のシンパ人員を動員し、お年寄りは車で送り迎え、若い人にも同行して総動員をかけて期日前の投票で約4万票の差をつけてしまった。投票日の投票数は双方とも同じぐらいだった。つまり期日前投票は選挙違反についても警察の目は甘いし、個人的には事実として投票依頼は同行して出来るのだろう。見事楽々の勝ち。
私がこの話しをしていると真剣に聞き始めた村長だが、時折数回も聞き直したりする。少し耳が遠くなったようだ。私よりも4~5歳は若いのに・・・。あまりに聞き返すので私は思わず「村長、大丈夫かよ!!」と聞き直すと、村長は、「大丈夫。こういうことは自分にとって何より大切だから頭によく入れておくさ。」と人差し指で自分の頭をつついていた。3選出馬の意志あり。確実とみた。

昨夜も外で食事をしていたら半袖では寒く、今朝も寒くて毛布でも間に合わなかった。薄い布団をもう一枚かけてなでしこジャパンの勝利を聞きつつ再び眠りについた。
                            片品村 標高1000mにて