我が家のつづらの底に敷いてあった新聞紙は昭和36年のものだった。多分母親が引越しの時にでも使用してしそのままになっていたのだろう。昭和36年9月29日版だった記事はスポーツ面のみ1枚の裏面のみ、当時の世相もわかる。中日権藤打たれる?延長10回、阪神藤本サヨナラ安打、この藤本は歌手島倉千代子の元亭主。この中日阪神戦の解説を読むと懐かしい名前がどんどんでてくる。阪神はスピードのない板東から藤本 並木が本塁打 小山のゆるいカーブを権藤が打ち、江夏が四球 森の遊ゴロくずれで一点 9回ソロムコが四球となれば住時の中日阪神の主力選手のオンパレードの懐かしさです。板東は現在テレビで活躍中のタレント稼業として活躍ですが浮き沈みも激しく生き抜いている。一方、巨人・大洋戦の先発メンバーの主力は広岡、高林、王、長嶋、ピッチャー藤田とくる。大洋は後家人打法の近藤和彦、スラッカー4番の桑田です。金光がつづき、近藤昭人の名二塁手です。打撃ベストテンもセリーグは、長嶋、近藤和彦、井上、古葉、藤本、桑田と続きパリーグは田宮、張本、榎本、杉山、山内、豊田、広瀬の順、張本は毎週日曜日の朝テレビでおなじみになっている。ああなつかしや。球団会社も今と比べると懐かしい。時代の流れもわかります。当時は鉄道会社と映画会社が主な球団オーナーでした。ざっと今の球団経営会社の前身は、セリーグの国鉄球団はヤクルトスワローズ、大洋は横浜ベイスターズ。パリーグは南海ホークスが福岡ソフトバンク 東映フライヤーズ当時時代劇を多く制作していた映画の東映だが現在は北海道日本ハムファイターズ、近鉄は阪急と合併しオリックスバッファーローズ、中西、豊田、稲尾の西鉄ライオンズだったのが埼玉西武ライオンズ、大毎オリオンズは映画の大映と毎日新聞が一緒になった球団 これは現在、千葉ロッテマリーンズとなっています。映画会社鉄道会社から食品会社、金貸し、インターネットと時代の移り様も球団経営会社がよく現われています。一方裏面では若きデザイナー売出中のバリバリの森英恵がエッセイなど書きノーベル賞の湯川秀樹が人間復興という題字を毛筆で書き、核兵器の執念などが連載されていた。
日別アーカイブ: 2011年7月9日
原発対策と河野太郎
先の戦争中である昭和18年11月6日付の朝日新聞を誕生日のプレゼントとして頂いた。この日の記事は勇ましい。南太平洋、陸海空に大撃滅作戦、巡艦9隻撃沈破、ラバウルのブカ上空敵機250撃墜、と何とも嘘八百だと今だから言えるが・・・・・。これじゃあ日本は勝ってばかりでそれいけどんどん、中国、アジアでも破竹のいきおいでアメリカとも連戦連勝、阿呆な国民を騙し続けたのでした。政府マスコミ共々大嘘つきの結果蓋を開ければアジアで中国初め2,000万人を殺し、自国民300万人死に追いやり国敗れて山河ありの悲惨さ。この新聞をみて今回の政府と東京電力の発表になんだか似ているなあと思った。戦争と原発との違いは別として政府というものは時に依ってはいつの時代も国民に対して嘘をつくものだということ。ただちに身体に異常影響のない放射能レベルと安心だよと抜かしおっていた。それじゃただちに影響のあるレベルっていうといくつと聞くと答えられない。手品師がネタを見破られた時のような顔をした原子力保安委員長の西山ナニガシ。東京電力に娘を入社させたぐらいだから東京電力の具合の悪い発言をするはづもない。枝野官房長官も芸術的言い回してともかく安心と、しかし一皮むけば晴天の霹靂だ。いつも国民は騙され続けるのです。おとなりの中国の新聞や新華社通信の発表にも人民が天気予報とスポーツニュースだけはほんとのことと揶揄されているのも同じことやってるなあと。6月22日、国会会期延長に反対する自民党の中河野太郎他12名は党の意向に反対して賛成にまわった。拍手したい。今政争している場合ではないと国民の多くは望んでいるのに反対とはほとほとあきれている時、この勇気ある行動は大受け、河野太郎君アンタはエライ、よくやってくれたと応援するぞと及点数を挙げた。子供どうしの国会政治ごっこのレベルで税金も泥棒されては国民はたまったものではない。河野一郎、洋平と続く政治家の三代目、他の世襲議員も見習ったらどうか。賛成に12名とは情けないがこれも落ち目の三度笠の自民党の限界か。河野太郎の発言や行動には多くの透明度ありで、スッキリするのです。大体透明感のない人間の行動や言動はキレがないしだらしなくなるのです。同じ太郎でも辛子(からし)メンタイコを幸子(さちこ)メンタイコと読み違えたりその政治姿勢が国際的に恥かしい太郎とは大違いだ。しかし政治家となると正直一辺倒ではいけない。少しはズル賢さも必要、かけひき、ハッタリ、馬鹿な振り、なども必要。頭の良さを隠しきれないTBSのアナウンサーの久米ひろしもいたが、あまりキレ者と言われると総理大臣になれないのです。いい例が以前の安倍晋太郎、福田康雄、麻生太郎、こういう人達を権力者に置いておくと自民党の議員は絶対安心だと考えたのです。御輿は軽いほうが楽だとかの小沢一郎が海部俊樹のことを言ったとか言わないとか。総理大臣になるまでは能ある鷹は爪隠すがいいのだ。この点よしも悪くも石原慎太郎東京都知事を見習うがいい。何故人気があるのか。一定の保守系の富裕層と若い人の支持があるらしい。国会議員の弱い処を攻撃し大衆の阿呆さ加減をよく研究し迎合を最も得意とするし天才的に人を引きつける演説、ヒトラーよりうまいと言われている。今のように混乱時には生真面目に正しい知識を理路整然と強く明快な判断で大衆を覚醒させる知的な政治家は不利で落選してしまう危険性がある。社会大衆が政治に嫌気がさして国民のレベルが低く民主主義の未成熟な私も含めて勇気のない人民が多い日本での選挙民ならなおさらのこと。石原発言の北朝鮮を殲滅せよ、今回の大震災では天災だがバチが当ったと日本人には気づかされたと、又ババア発言など言えないことを言えると言うこと。ほんとうのことだが、誰も言えないことを言ってくれる人、特に嫌気がさしたり疲れている人間は理性より感情的なものが取り入りやすいので益々大衆を引きつけるのだと思います。
目立ちたがりやの慎ちゃんはオリンピックに又も立候補とのこと。今までさんざん誘致のためのお金は数百億円とも言われている。高級ホテル1泊百万円、好きな車を北欧まで運ばせそれに乗ってご満悦でその結果今回は落選、新銀行も破綻、毒ずくめの豊洲へ築地市場を移転、歴史に残る悪徳知事とならないよう祈るばかりだ。石原一族の栄華もいつまで続くか、5年10年?
気候の変化と東北大震災
去年の夏の暑さは異常であったことは記憶に残っていますが、あの夏以降気候の変化には極端な変化はないが暖冬の予想が以外に寒い冬で雪が多い場所と少ない場所が極端に分かれていました。群馬県利根地方は雪が少なく特別気候が下がったようでした。特に3月に入ってからの気温の下りようは異常で、寒い冬は雪が少ないとの定説通りであった。3月は石油の値上がりでスキー場にて暖房がおいつかずやむなく土日もリフト休業のスキー場も数ヶ所ありました。思い出せば昨年の秋、事務所の裏庭に植えたしいたけとなめこが逆の順序で収穫があった。例年ならしいたけが先に獲れて、なめこがあとから獲れるのに反対で、遅いしいたけは不作で大きく育たなかったのです。そしてこの大地震です。気候の変化が少なからず影響した結果との証明が出来るはずもないが、降れば必ず土砂降り、カラっと晴れては又すぐ土砂降りの亜熱帯気候に近づいているのは事実で地球温暖化は体感しているようです。5年前の新潟中越地震も、地震の前の6月に大雨が降った。一説によれば大量の雨の重さで長岡地方の地盤が水の重さに耐えきれず例の山越村などの震災による大災害となったとの見方もあります。目に見えない変化が気候の変化と共にじわりと植物、動物の変化などこれから徐々に現象として現われてくるのだろう。今回の東北大震災の3日後の14日に当社の事務所がある宮城県の現場に行きました。電話も通じず、連絡がとれないのでともかく現場へかけつけるしかないと考え帰りのガソリンを積んで午後に出発、夕方到着したが、途中福島県内はところどころ灯りが見えたが宮城県の県境になりガラリと風景が変化した。宮城県はともかく真っ暗闇、4号線の店舗は全て閉じて多くの民家の瓦屋根の最上部がブルーシートで覆われていた。地震のゆれで壊れたのだろう。夕方7時頃、現地事務所に着きましたが、電気、電話、上水道は全て通せず、飲み水はかろうじてポリタンクにて確保、食料も東京からの二食分の弁当やおにぎり持参、トイレは汲み置きの農業用の500ℓ入りのポリタンクからバケツに入れ直して手でザァーと便器へ流す。少し様子をみたあと事務所より一番近い場所に住む50歳代の女性社員の家を訪ねる。真っ暗の田んぼの畔道と辿りつくと家の中に母親と二人きりで炬燵に入りローソクを1本たてて二人でじっとローソクをながめていた。びっくりして私の方を見たあと私を確認すると、何もすることないからもうすぐ寝るのだと。ここ数日、事務所へ7kmを2時間歩いて通ったという。脱帽!!まだ寒い東京地方の寒さ、炬燵の暖房は何かと聞くと、飼育猫二匹とこういう利用の方法もあったのかと。その彼女は地震のゆれの後遺症で目まいが続きとうとう1週間ほど入院する羽目になった。当社管理の分譲地温泉配管も4ヶ所破損し電気止まっているので当然、温泉源からの汲み上げポンプも作動せず給湯中止のままであった。翌日、分譲地も見回り通勤用のガソリンと食料が必要は社員二人のため群馬事務所に保管してある食料と燃料を取りに引き返しました。途中、福島県内の国道4号線を走る福島ナンバーの運転する人はほとんどの人はマスクをつけていた。多分すでに地震から3回ー4回のうちに原発事故の放射線漏れに気づいていたのだろう。とって引き返しガソリン100ℓ食料積めるだけ積んで再び宮城に向かったのは又翌日の15日頃だったようだ。
政治、性事、世事
菅直人総理大臣は自民党政権時代、舌蜂鋭く国会で自民党を追求、この人はやれるなと思ったこともあったが、今では落ち目の三度笠。分党分派が多くあった時代の昭和50年代、新自由クラブや革新自由連合会などから多くの政治家が育った。菅直人も北多摩の選挙区から20代で立候補二度ほど落選し三度目に衆議院議員に当選したのを記憶している。市川房江おばあを筆頭に青島幸男、中山千夏などとともに菅直人とともにこの時議員になった人も多いが、総理大臣まで登りつめた菅はやはり政治家としての実力をそなえ努力もしたのだろう。一昨年政権交代にも重要な役割を果たし、期待された人だった。現在どうしてこうも不評なのか、具体的にあげつらうのは新聞やテレビにおまかせして、もともと他の政治信条、リーダーとしての資質など解りやすく説明してくれる評論家やテレビコメンテーターなどはいない。政治家になることだけを目標にしてなったら何をするか日本をどういう世の中にするかなどは何も考えていない、ただひたすら親の跡をついで国会議員になりおいしい生活を長く享受するこういう二世議員と同じレベルの人間なのだろうか。それとも政権をとり権力のおいしさにとりつかれて考えが変わったのだろうか。自民党の福田康夫や麻生太郎のように大学の学費支払いなど全く心配することもなく、貧乏の生活など垣間見ることもなく、エリート社員から親の跡を継いで政治家となった人達と同じだろうか。それほど権力は魅力で魔物だろうか。政権交代して多くの難問、不景気、それに加えて東北大震災、原発事故、並の人間ではとてもさばききれないにはわかっている。それにしても地元で菅直人を見つめ続けてきた者にとっては何とも寂しくふさぎこみたくなってしまうのだった。