北国の春は遅し

村便り、四月十二日は雪も融けて初めて山に入る林業の人達がお祭りです。村はずれの十二様という山の神様にしめ飾りを張り、お参りして朝から酒を飲んでいます。毎月十二日は林業は休みで、特に四月は雪が解けて長い冬から覚めてまち続けた作業に入れる日です。
当日は小雨交じりの寒い日で、こちらも顔見知りの人もいたので山の神にお参りして一献きこしめさせていただきました。寒さの折、ぐいぐい冷酒を勧められ、昼ごろには出来上がり、そのまま温泉に入りその日の仕事はおしまい。無病息災を祈願し朝からおおっぴらに飲めるのでのん兵衛にとっては楽しい日。温泉のあと昼寝をしてまた十二様の神社の前を通ったらまだ男三人女一人が飲んでいた。トイレがないから清流に長々と立ち小便しているものもいる。雪解け水がゴーゴーと流れる沢水を少しでも増やそうなどと抜かす。
新しい道路を当社整備で造成するために、狭い部落の人二十数人に土地提供の了解を得て同意書を貰うことにここんとこ専念させている社員とともにかく地主を回る。
第一回目の説明会は昨年十二月だった。そのあと担当が各家を回り始めたのが一月下旬でした。素直に同意書に押印してくれた人が三人、賛成するけど雪が解けて立会いしてからが五人、みんなが賛成すれば自分も賛成するという人が圧倒的な数で、お互いに牽制でもしているようです。この皆が賛成が要注意です。一見賛同してくれるように見えるけれど、仲の悪い人が賛成するから嫌だとか、皆とは何人なのか、全員かそれとも過半数か、つまり漠然としている。こういうことは流れを作らなければならない。
賛同のだ。長老、実力者の一人と痛飲しなければいけないかもしれません。
それぞれが意思表示を明確にしないで、周囲の動向を見定めてからの行動、意思表示は昔からの生活の知恵のようだ。物事の善悪は別として、近所との協調性を先ず第一に、その次に対象物の参加不参加を決めるのです。
波風、対立を嫌い日本人特有の赤信号皆で渡れば怖くないのだ。みんなの党が現れたが、良くも悪くも何となく親しみあふれる名前だが、主義主張政治理念などは見えてこないが、混乱を極めている最近の政界で二大政党どちらも行き詰ってしまったので支持及び人気を増しているのがこのみんなの党です。
話は横にそれましが、今年の春は特に遅い北国、雪国ですが、農作物への影響が今のところ悪い影響は無さそうですし、土建屋さん、大工さんの仕事が激減はここ数年来のことですし、自給自足に近い生活を強いられて月に五万円前後で暮らせる農家の人にとってはいつもの年と変わらない雪解けの四月でした。

結婚式で想う事

友人の息子さんのある結婚式に招かれた。恋愛して結婚、子供を産み、育て、無難かつ平凡な人生を送って貰いたいと我が子には思うのだが、振り返って自分自身のことを思い出すと、あまりに偉そうなことを言えないし気が引ける。そんなことをぼんやり考えながら手元にある辞書で恋愛と引く。そこには「特定の異性に特別の愛情を抱き愛し合うこと。更に二人だけでずっと一緒にいたい、出来うるなら合体したいという気持ちを持ちながらそれが常にかなえられない。(まれにかなえられて歓喜することもある)でひどく心を苦しめる状態を言う」とあった。
最近の若い人達はさっさと合体ばかり済ませてしまって、この辞書にあるように悩んだり苦しんだりするのだろうか、などと思い過ごした。
この時、両家の親族が初めて見る新郎新婦に対してどの様なことを思い考えているのだろうかと勝手に独断と偏見に基づいて予想してみた。つまり、親族の腹の中を探るのである。新婦側の親族から新郎を見て、まず父親はよくも大事な娘を盗んだなという気持ちがありありと顔に出ていて、こうなった上は必ず幸福にせよという、不安と期待で一杯であるということが予想された。
又、新郎の外見はよさそうだが、見てくれだけの男ではないだろうか、中身もしっかりしていて、甲斐性もあるか、人生真面目に生きる奴か、浮気などして女房を泣かすのではないか、どのくらい偉くなるか、など思っているのだろう。
次に新郎側の親族から新婦を見て、よく気が利いて妻としてうまくやってくれるだろうか、物事をきちんとこなして、子供も数人産んで夫を支えきちんと家庭を守ってくれるだろうか。銜えタバコで片足を組み、パチンコなどやらないよね、などである。
親戚の中には口うるさいおばさんの一人や二人いるもんだ。こういう人達とうまく付き合ってくれるかな、などである。
一方、当事者の二人は自信満々悠々としていて、知ってか知らずかニコニコ笑って何の罪もないのだ。両家の親族は内心はこの様にしていろいろ心配しているのだが、本日の披露宴にて大丈夫というお墨付きを得たいのだと思われる。
結婚は二人にとって国と国とに例えるなら、安全保障条約と相互不可侵条約の締結みたいなものだ。お互いの安全を保障するということは、敵が攻めてきたら自分の命を掛けても相手を守らなくてはならないのだ。もうひとつの不可侵条約は、二人の内面的から精神的なものだ。夫婦と言えども個人の主義主張、イデオロギー、趣味、人生観などは尊重されなければならない。精神的面での干渉は相互にさけることだ。よく二人の価値観が同じだから一緒になるなどという人達がいるが、二人の人間が全く同じ価値観など持てるわけはなく、ましてや全く別々の環境で育った二人が一緒に暮らすのだから、価値観が異なる方が当然だ。この個人の価値観の違う処を相互に立ち入らないことが大切だ。相手の友人が同姓異性にかかわらず大切にしたい。又、選挙のときに投票を強制したりしないことだ。主義主張思想も認め合うことだ。
相互に立ち入らないところを残しておくことや、ちょっと変わった意見もいきなり拒絶したり馬鹿にしたりしないで、よくよく吟味してみよう。
しかし、そうは言っても毎日の生活を送っていくには、谷あり山ありなのだ。
特に人間、谷の時は弱いものだ。谷とは、人間関係のいきづまり、金銭関係、ケガ、死亡などだが、人間困難にぶつかるととりえず手近にいる者にあたりたくなるものだ。
原因を持って行きたがるものだ。感情的になればなるほどエキサイト、エスカレートしてくる。良い結果は生まれない。そこで人間はある道具を使ってこれらの困難を乗り越えなくてはならない。道具と言っても、トンカチやノコギリではない。それは我慢という道具だ。耐える、辛抱すると言い換えても良い。
人間の感情を抑えるための我慢という道具は、口で言うほど易しくない。この我慢は自分を養育するしかない。この我慢を養育するには、知力、知性が必要だ。これがないと感情は抑えられないことが多い。物事の発生原因を論理的に考え、またその対応も同じように論理的に考える癖をつけるのが知性や知力だ。これらを育てるのは本をよく読むとか、目上の人の意見を良く聞くとかにて養うしかないだろう。
”金持ち喧嘩せず”という諺がある。金持ちはどういうわけか知力や知性のある人が多い。多分頭が良いので金持ちになったのだろう。だが金持ち同士は時には喧嘩をする。
但し、お金について言えば、金持ち同士は金が入って来てからもめたりするが、喧嘩に負けても多少は実入りがある。これが金持ちの知恵。
ところが、貧乏人同士の喧嘩は金が入ってくる前に喧嘩をしてしまうのだ。
だから金のほうでさっさと逃げてしまうのだ。つまり感情的になって、気が済むまで相手を罵ったり、暴力に訴えれば後味は悪いし、結果は大損だということを論理立てて考える癖をつけることだと思う。
ヨーロッパなど先進国は、二十世紀世界で二回の大戦争を繰り返し、この経験から学び、もう争いはしない。アフリカ、南米、ボスニアなど後進国は現在も争いが絶えない。貧しい者ほど争い、ますます貧しくなっていく。人間争わないことだ。
こんなことを考えているうちに結婚式は終わった。

中国の四大美女

中国四大美女として西施、王昭君、貂蝉、楊貴妃がいる。それぞれ欠点があり、西施は大根足、貂蝉は耳が大きすぎてその耳が反り返っていたのでわざと重いイヤリングをつけていたとされている。
王昭君はなで肩(中国ではなで肩が恥ずかしいとされていた)、楊貴妃は脇が(玄宗皇帝も大変だったね)だった。今回は耳の大きな貂蝉を取り上げてみる。
 後漢の時代、献帝の治世は乱れに乱れて首都洛陽は董卓という武将が権力を一手に握っていた。この人物、横暴の限りを尽くし献帝も皇帝でありながら、董卓のあやつり人形だった。この董卓を倒し新たな羅権を得ようと後の三国志の主役達が連合して洛陽に向かって攻める。魏の曹操、呉の孫堅、蜀の劉備達だ。
これに恐れをなした董卓は都を長安(今の西安)へ遷都する。残虐な董卓は当時百万人いたとされる全人民を三百キロも離れた長安へ強制的に死の後進をさせる。少しでも遅れたりした人民は忽ちのうちに殺してしまう。又、敵に内通した疑いのある高官をひっ捕らえ朝臣列座の中で首を切って、その首を大皿に乗せそれを肴に酒を飲めと皆に強制するのだ。皆は生きた心地もしない。この酒の席で一人の高官がクーデターを企てた。
王允という。王允の邸宅に囲われていた歌舞伎の奴、言ってみれば妾か女奴隷である絶世の美女貂蝉が登場する。賢い彼女は主人の王允の気持ちをよく理解し、身も心も命さえもささげる事を誓う。王允が考えたのは暗殺だ。
董卓の部下に呂布という勇猛な武将がいた。董卓の側近中の側近だが、その性格は董卓に輪をかけて残虐だ。暴虐、大酒飲み、女たらしときて現代版タイガーウッズだ。二人とも女色に弱い点で貂蝉を使い三角関係をつくらせ、呂布に董卓を殺させるという手なのだ。これが世に言う「連還の計」だ。
まずそのⅠ 呂布を王允の家に招待し貂蝉がホステスをつとめ盛んに呂布に秋波を送る。女湯しの呂布は一級の美人からウィンクを送られてすぐメロメロになり、心をとろかせてしまった。このチャンスに王允は呂布に「近いうちに貂蝉をあなたに差し上げましょう。」と切り出す。呂布は天にも昇る気持ちで帰っていく。
中国では当時女性は人間として扱われることなく、物や戦利品として扱われていた。現在でも人権などあまり認められていない国なのだが・・・。
そのⅡ その翌日、今度は董卓を招き、又貂蝉の虜になる。短気な董卓はすぐに馬車に乗せて連れ帰ってしまう。
そのⅢ 呂布がまたきて貂蝉いないのをカンカンに怒っていたが、王允は呂布に向かって「董卓様は吉日を選んで呂后と貂蝉を夫婦にしてやろうと連れて行ったのです。」と嘘を言う。その頃董卓は貂蝉に溺れ切っていて、そんな気持ちさらさらない。焦った呂布は待ち切れずに貂蝉に言い寄るが、彼女は涙を流して董卓の乱暴ぶりや悪口を訴え「あなたと一緒になれないなら、いっそ死んでしまいたい。」などと口説く。
このあたりは今も昔も同じで女性が好きな男性に自分への関心程度を探るためのジャブで常套手段でもあり、男心を捉える為によく使う手だ。
殺意を生じた呂布は親分の董卓を殺す密約を王允と交わした。何も知らないで朝廷へおびき出された董卓は兵に捕らえられてしまい「呂布はどこだあ、助けてくれ。」と叫び、踊り出た呂布にあっけなく首を飛ばされてしまった。あな女は恐ろしや。この後呂布と貂蝉も数年後に殺されたり死んでしまう。
美人とは関係なくもう一人烈女を紹介する。但し食事時は避けるよう申し上げておく。
この前の漢の時代の話、漢の高祖劉邦は天下を取った後、苦労をともにした糟糠の妻呂后をないがしろにし、若い側女威夫人に溺れる。又々威夫人は劉邦との間に生まれた息子如意を次の皇帝にしようと考えていた。
憎憎しく思っていた正妻の呂后は「ババアだと思って馬鹿にしやがって、今に見ていろ。」と日々思っていた。威夫人にとって不幸なことに劉邦が先に死んだ。
呂后は威夫人をひっ捕まえ、まず息子の如意を毒殺する。次に威夫人の頭を剃り、首に鉄の枷をはめ、囚人服である赤色の衣服を着せる。そこで終日米をつく罰を科した。
憎っくき威夫人を一思いに殺すことをせず、じわじわとなぶり殺しにして恨みを晴らそうとしたのだ。さらに両手両足を一本ずつ切断し、焼火箸で両目を潰し、くりぬき毒薬で声を奪い耳を削り落とし便つぼの中に入れて人豚と名づけた。
中国では今でも農村に行くとトレイに豚を飼っていて、人間が用を足すとき、下で待っていて人糞を食べさせる。処理も出来るし豚も肥えるし一石二鳥だ。
出血多量で死なないようにしばらく生かしておいたというから凄まじい。
くわばら、くわばら。   『十八史略』より