村の選挙

パートⅠ
昭和50年代の初めの頃、群馬県K村に会社としてロッジを建てることになった。村営水道を引くのに社員とお客様の二人がいつもの定宿に住民票を移すことになり、二人とも20代前半で当然選挙権はあった。この宿の娘が村の有力者の経営する会社に勤めていたので宿の主人夫妻はそこの社長さんが立候補したため応援しいていた。
当然こちらの二人に露骨に社長さんに投票するよう強制する。投票日の朝6時頃私と三人で寝ていた部屋に宿の奥さんの方が障子を開けて這うようにそっと入ってきたのに私が気がついた。二人も気がついたようだが、寝たふりをしているようだ。奥さんがそれぞれの名前を声を殺すように「マサちゃんここにおくよ。萩山君ここにおくよ。」と言って封筒を布団の下に突込みそっと出て行った。三人ともガバッと起きて封筒を開けてみると1万円入っていた。朝食が済むと宿のおやじが投票に一緒に行こうと言ってきかない。仕方がないから二人とも村の小学校に投票に行き、指定の名前を書いていたところ、宿のおやじが隣から覗いてほんとに教えたとおりの名前を書いたかと。この社長さん見事トップ当選した。

 
パートⅡ
それから4年、20人中2人しか落選しない村会議員選挙が始まった。当時飛ぶ鳥も落とす勢い土建屋の社長さんが立候補した。自宅の左隣の家が選挙事務所、右隣が飲み食い処、投票日前10日間は毎日飲めや唄えの大騒ぎ、麻雀、花札のご開帳、負ければお小遣いまで預ける、この社長さんは第二位で見事当選。
当選した後、この社長さん金儲けは上手だが、恥はかいても字は書けないタイプ、議会でも4年の任期中1回だけ、発言というより夜議会終了した後「俺の下駄がねえ。」とこれだけ。
更に村民がこの村会議員の土建屋社長に会いに行くとお前にはすでに金も渡してあるし飲ませ喰わせしてあるので貸しがあるからそんなことを俺に頼みにくるなと。

 
パートⅢ
昭和60年代バブル期は投票依頼もする1票の価格も値上がりして5万円となる。この頃村は都会から移住したペンションが花盛り。私のところに親しい村人が立候補した。当選するには120票以上が必要だそうだ。どうしても5票不足だという。一人5万円で25万円を私に渡すから、当人に面談したいという。私のロッジのホールで炬燵に3人を待っていると候補者の代理人が来て、「皆様ご苦労様です。皆様には交通費としてお渡ししたいものがあります。」と懐から分厚い財布を取り出し万札を数え始めた。私は慌てて止めて別の部屋で一人づつよくお話をして下さいと別の部屋を用意して一人づつ会って貰うと又ホールの炬燵に戻ってくる。3人終了し帰ろうとすると3人の1人が(奥さん)なかなか帰ろうとしないでもじもじしている。どうしたのかと聞くと、「あのおー。主人もいるんですけど」と。代理人「そうかそうか。」と言って改めて二人で別部屋に入って行きすぐニコニコしながらこの奥さんが出てきた。
村会議員は名誉職で政治家とは程遠いのが実態の人が多いのですが、中には立派な人もいるがこの村では選挙は完全にお祭りです。村の出口入口には夜、見張りが立ち誰が何処に行くのかあとをつける。票読みで他立候補陣営の人間は全てわかっているので、夜何処の家に行ったから、そのあと行った家に心変わりしていないかどうかを確認に行くのです。投票する村民も1票しかないのに3人位から平気でお金を受取る人もいるそうだ。又俺の親戚や村の役職や親しい友人全部で20票ある、全て50万円でどうだなどと売込む奴もいる。どん尻当選と次点落選の差か2票から3票ですから最後に実弾で引っ繰り返すことが可能なのだ。最後に金を使い切ってしまい買収にケチったため落選し自殺した人もいた。
金を貰うとわかると村民は言う。「もらった翌日からフィルムの早コマまわしの如く動き出す人。関係者が集まると発言が多くなる人。普段喰ったことない上寿司の器が玄関に置いてある人。あいつは貰ったなー。」と。