☆中国パートⅡ

世界三大料理、フランス料理、中国料理、イタリア料理または日本料理または韓国料理、のひとつ中国料理はその種類からではやはり世界一でしょう。民族分布の広さ、冬は零下30℃まで下がる黒龍江省から毎日夏の海南島南部までその他少数民族の多くすむいわゆる昔の西域のイスラム料理、先日暴動のあったウイグル族のウルムチから朝青龍の故郷モンゴル共和国を囲むように位置する内蒙古自治区の羊料理などその種類は様々です。
ホテルのバイキング模様を見ると中国人はほんとによく食べる。2つの大皿に山盛りというのをよく見かける。普段の食生活から反動が出るためか、この時とばかり喰らいつくようです。それによく喋る。広州の飲茶店にて200人ぐらい入るホールはすごい。うぁんうぁんうなる様な一大イベントが毎日だ。それも朝と昼はすごい。その間をぬって広東語で大声で売り子さんがおせんにキャラメルならず料理名を叫びながら料理を蒸し器のついている手押し車に飲茶を載せて席の周りを回り注文にその場で料理を渡す。
ひとつ困ったのは中国ホテルの定番バイキングでは中国人のほとんどが口にものを入れたまま次の料理をとりにゆく。歩きながら何回も席と料理の間を往復する。
音を出す。口をシーハーシーハーとだ。
食べ終わると道端でガラガラペーとはよく見るがさすがホテルのレストランではガラガラのみをよく目にする。
北京の裏通りや田舎町でのレストランにはその価格の安さに驚くがちょっと危ない感じがするが不潔、食べ物が何だかわからない。
目の前で火の通しているものは大体大丈夫だし中国人もたべているから大丈夫だろうと思って食べてみると意外とうまいものがある。
夏は半ズボンに上半身裸か下着のシャツを胸までたくし上げるながら、汗をかきながら路上の屋台で昼食など1元15円ぐらいでうどんなどを皆食べている。人通りは大勢、その数の多さ、喧騒はすごい。どこからか人間が涌いてくる様だ。
1日中人が切れない地下鉄の駅付近。ディーゼル車、排気ガスのにおい、汗、体臭、騒音皆まざって大きな力となって迫ってくる様だ。歩いていて思いきり屁をひってもすぐかき消されてしまうので、知らん顔していさえすれば思い切りぶっ放しても大丈夫。但し、習慣上たち小便する人は見ない。
動物と同じだと考えると聞いた。中国人の留学生が日本に来て一番驚くのは礼儀正しい日本人が道端で立小便を見ることだそうだ。
反対に手鼻は田舎ではよく見る。女性もだ。失敗して手に鼻汗が付着すると駐車場の車のサイドミラーなどにこすり付けている。
このガラガラペーは普段は中国の空気が悪いせいか乾燥しているせいか紙がないためか、一般人民の息を吸ったり出したりするのと同じように考えているぐらいです。安食堂の席の隣の連中にやられるとたまらない。食っている最中でもやめて外に出たくなる。しかし当人はニコニコ話しかけてきたりする。お前何人だなどと、憎めない奴だった。

☆中国パートⅠ

このノモンハン行きは予定計画したからではなく長春市の友人が旅行会社の国営旅行会社の幹部で、一般の人は行けないが特別な方法で行けるから行かないかとの誘いに乗った。特別な方法とは国境警備隊に寄付金(ワイロだろう?)を払うのだ。ハイラル市のホテル、通訳運転手1泊2日で1人75000円、ちと高いが叔父もここで戦死しているのでまあいいっかと奮発して決行したのです。
中国、モンゴル、ロシア、この3国の国境近くに1939年に生じた戦争跡ノモンハンがある。中国語では諾謀汗と書きますが、元々蒙古語の地名です。当時ここで死んだ日本人兵士は54000人、小松原本部司令官は責任を感じてハイラル市でピストル自殺した。元々この紛争は国境争いから生じたもので蒙古、当時のソ連が主張する国境はこの地域を流れるハルハ河から東へ20~30kmと大変大雑把な主張、一方日本の傀儡、満州国の主張はハルハ河が境界、国境だと主張した。そこで2度の争いになりましたが、1939年は2度目の争い、日本はソ連蒙古軍にボロ負け。理由はいくつかあるが、司令部のあるハイラル市から現地まで私は車で約3時間、それも行けども行けども自然の草原のみ時速100K~120Kで運ちゃんが飛ばす。時々トラックがすれ違うだけ、また草原には馬の放し飼い、羊、牛がところどころで集団をなしている。

日本軍はここを徒歩で戦場まで行軍。水不足、食料不足で下痢や蚊の大群に襲撃されたり戦う前からグロッキーだった。加えて日本軍は日本兵の他蒙古族や満州族、朝鮮族など混生軍団、中国人ガイドの話によるとこの民族の兵士は食べ物、労働などで酷しい差別をしたため反発を感じた同じ民族の相手の蒙古軍に寝返ったりしたそうだ。
更にソ連との武器の近代化の違い。ソ連戦車は50~60トンの砲身の長いタンク、日本はその1/3~1/5の小型タンク、タンク同士がぶつかると日本のタンクはソ連のタンクに上にのしかかられてつぶれてしまったそうだ。現地は大草原で地面に穴を掘って隠れるしかない。私の叔父もここで戦死して遺骨も何も無い、血のついた腹巻の一部だけ遺品だと渡されたと聞いた。更に日本軍の始末の悪いのは当時中国では毎日勝った勝ったの日本中大騒ぎ、100人切の兵士が英雄扱い、マスコミが調子に乗って連日囃したてる。昭和20年の地獄の*敗戦に向かってまっしぐらなのに。だから大本営はこのノモンハンの大敗戦を隠しに隠したのだ。
まず生き残った兵隊には自殺を強要したりして秘密にした。遺族には手厚くお金お墓を国から与えた。私の叔父も川口市の寺に我家に不似合いな高さ3mもある立派な墓石を貰ったのを子供の頃母に連れられて見たことがある。北海道の炭鉱の3男にこんな立派な墓を立てたのは前述の国策だった。
あたり一面の草原しかなかったが小さな村に着き、地元案内人の雑貨屋の蒙古族のおばさんを乗せ国境警備隊の建物に、建物に入らず門の外で待っている下士官らしき2人の兵士が来てパスポートを見てすぐOKのサイン、ここから道のない草原を20分ほど行った所がここですと通訳が指差す。60cmぐらいの高さの石碑が中国語で書いてある。ノモンハン戦場跡と。ここで満州国ソ連の手打ち式にて停戦成立。54000人の死体をここでガソリンをかけ焼いたのだ。合掌。
ところどころに鉄かぶとやかんづめの焼け焦げたのが散らばっていた。よく見ると人骨らしきものもあったが迷った末手に取ったが捨てた。
元々ハイラルに戻り翌日は日本総司令部跡を見学、司令部らしく小高い丘にてハイラル市が見渡せる地下30m~50mに通信司令部、兵隊官舎、炊事場、病院、通信室などがあり相当な労力を当時費やしたことがしのばれる。この地下壕司令部を数千人中国人苦力を使い工事終了後秘密保持のため全員を銃殺したのだ。
数キロメートル離れた所に万人杭と呼ばれる殺された苦力の墓地があるとのこと誘われたがさすがに断った。

村の選挙

パートⅠ
昭和50年代の初めの頃、群馬県K村に会社としてロッジを建てることになった。村営水道を引くのに社員とお客様の二人がいつもの定宿に住民票を移すことになり、二人とも20代前半で当然選挙権はあった。この宿の娘が村の有力者の経営する会社に勤めていたので宿の主人夫妻はそこの社長さんが立候補したため応援しいていた。
当然こちらの二人に露骨に社長さんに投票するよう強制する。投票日の朝6時頃私と三人で寝ていた部屋に宿の奥さんの方が障子を開けて這うようにそっと入ってきたのに私が気がついた。二人も気がついたようだが、寝たふりをしているようだ。奥さんがそれぞれの名前を声を殺すように「マサちゃんここにおくよ。萩山君ここにおくよ。」と言って封筒を布団の下に突込みそっと出て行った。三人ともガバッと起きて封筒を開けてみると1万円入っていた。朝食が済むと宿のおやじが投票に一緒に行こうと言ってきかない。仕方がないから二人とも村の小学校に投票に行き、指定の名前を書いていたところ、宿のおやじが隣から覗いてほんとに教えたとおりの名前を書いたかと。この社長さん見事トップ当選した。

 
パートⅡ
それから4年、20人中2人しか落選しない村会議員選挙が始まった。当時飛ぶ鳥も落とす勢い土建屋の社長さんが立候補した。自宅の左隣の家が選挙事務所、右隣が飲み食い処、投票日前10日間は毎日飲めや唄えの大騒ぎ、麻雀、花札のご開帳、負ければお小遣いまで預ける、この社長さんは第二位で見事当選。
当選した後、この社長さん金儲けは上手だが、恥はかいても字は書けないタイプ、議会でも4年の任期中1回だけ、発言というより夜議会終了した後「俺の下駄がねえ。」とこれだけ。
更に村民がこの村会議員の土建屋社長に会いに行くとお前にはすでに金も渡してあるし飲ませ喰わせしてあるので貸しがあるからそんなことを俺に頼みにくるなと。

 
パートⅢ
昭和60年代バブル期は投票依頼もする1票の価格も値上がりして5万円となる。この頃村は都会から移住したペンションが花盛り。私のところに親しい村人が立候補した。当選するには120票以上が必要だそうだ。どうしても5票不足だという。一人5万円で25万円を私に渡すから、当人に面談したいという。私のロッジのホールで炬燵に3人を待っていると候補者の代理人が来て、「皆様ご苦労様です。皆様には交通費としてお渡ししたいものがあります。」と懐から分厚い財布を取り出し万札を数え始めた。私は慌てて止めて別の部屋で一人づつよくお話をして下さいと別の部屋を用意して一人づつ会って貰うと又ホールの炬燵に戻ってくる。3人終了し帰ろうとすると3人の1人が(奥さん)なかなか帰ろうとしないでもじもじしている。どうしたのかと聞くと、「あのおー。主人もいるんですけど」と。代理人「そうかそうか。」と言って改めて二人で別部屋に入って行きすぐニコニコしながらこの奥さんが出てきた。
村会議員は名誉職で政治家とは程遠いのが実態の人が多いのですが、中には立派な人もいるがこの村では選挙は完全にお祭りです。村の出口入口には夜、見張りが立ち誰が何処に行くのかあとをつける。票読みで他立候補陣営の人間は全てわかっているので、夜何処の家に行ったから、そのあと行った家に心変わりしていないかどうかを確認に行くのです。投票する村民も1票しかないのに3人位から平気でお金を受取る人もいるそうだ。又俺の親戚や村の役職や親しい友人全部で20票ある、全て50万円でどうだなどと売込む奴もいる。どん尻当選と次点落選の差か2票から3票ですから最後に実弾で引っ繰り返すことが可能なのだ。最後に金を使い切ってしまい買収にケチったため落選し自殺した人もいた。
金を貰うとわかると村民は言う。「もらった翌日からフィルムの早コマまわしの如く動き出す人。関係者が集まると発言が多くなる人。普段喰ったことない上寿司の器が玄関に置いてある人。あいつは貰ったなー。」と。