芥川龍之介の羅生門に出てくるこの世の地獄は、
ある寺が不景気のため荒れ果てて、それを良いことに狐狸が住み盗人が棲み、しまいには引き取り手のない死人をこの寺に置いてゆく。
気味悪がって誰も近寄らないがカラスが死体をついばみにくる。そこにある下人がやってくる。お屋敷を解雇されたあてもないどうにもならない下人がやってくる。寺の付近では餓死した死体を犬が喰っている。自分もそうなるかもしれない。選択肢は限られている。餓死するか盗人になるか、しかし勇気がない、と。しばらくして門の中の2階に物音が聞こえおそるおそる登ってみるとやせこけた老婆が死体の毛を1本1本抜いてそれを食べている。死人になっても髪の毛と爪には栄養が回るから喰って生き延びていると老婆は言う。下人はこんなひどい事をする奴は許せんと老婆を引き倒し老婆の衣類をはぎとり……。とある。
解雇された契約社員はホームレスになるしか方法がないテレビに出てくる人達を思い浮かべる。残された方法は連帯だ。連帯しかない。そもそも労働組合の発生思想はここからだ。資本家に対して力もない金もない体を売る労働だけの労働者は団結、連帯しかないと気付いたのだろう。やけになって秋葉原など誰でも良かったから殺したなどと決して考えてはいけない。
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医療
日本の医療制度は先進国の中では進んでいると言われている。特にアメリカの貧乏層は医者にかかれない。中進国の中国も同様、薬が買えないから子供を死なせた、目がつぶれたなどには事欠かない。日本も19世紀以前は金持ちしか医者にかかれなかった。つまり貧乏人は病気になれば自分で山野草や昔からの知恵で薬草などで治すしかなかった。
後期高齢者医療は、貧乏な老人はあまり周囲に迷惑を掛けずに死んで呉れと言うことだ。ただこれを立場上言ってはまずいから政治家は言わないが本音なのだ。楢山節考を読めばよくわかる。アメリカインディアンも他部族との戦いや移動で、病人や老人は足手まといになるので自分の部族が全滅を免れるため、1人静かに群れを離れ1人死に場所をみつけるのです。
1人のために全員が困ることはやめよう1人だけ死ねば他の人が助かる。種族保存の本能だろう。たとえば介護で夫婦どちらかが重度の介護を要するようになった時介護される人とする人が2引く1は1ではないので2-1=1、さらに介護する人1人が必要になり2-1-1=0となるのです。その上”0”では経済基盤が崩れるのでここで完璧なライフラインが必要となるのです。これも政治、国、つまり私も含めて貧困層にもう少し手厚くすることが先決だろう。
安心した老後を送るには他人のことは顧みずやたら金を貯めて心配無しとするのでは人生あまりにもさびしい!断じて負け惜しみではないと信じたい。
すきま風昨今
テレビで倒産したリーマンブラザースの元社員と解雇された自動車メーカーの元契約社員の対決対談を見た。元リーマンの社員は超高級マンションに住み続け乗馬の趣味に10年以上生活費の貯金はある。一方、自動車メーカーの元契約社員は仕事もなし貯金もなし、住むところもなし。この対談の設定はひとつは設定そのものが間違っているのと、対談のあとにこれを見ていた有名人5~6人のコメントを求めたが誰もまっとうな意見、我々が納得できるコメントを得られなかったのです。
何となく後味が悪い番組となったのは、ひとつはコメンテーターの生活レベルと解雇された社員の現状があまりにも違いすぎるのではないかとも思える。毎日のようにテレビに出演しそれなりの年収もあるだろうから彼らの生活実態、年収など明らかにして欲しかった。その上でコメントを取ればもっと彼らの実感がわいたかもしれません。
リーマン元社員の言葉が印象的だったのは、自分も高校を出て働いたがどうにもならなくてこれではダメだと考え一念発起して猛勉強して大学を出て年収の高い外資系の会社に入社したから今の自分があるとのこと、つまり自己責任の裏返しです。自分の努力と能力が不足しているから仕方がないということだろう。しかしこの元リーマン社員を攻める訳にもまいりますまい。もう個人の考え方など通り越した政治の問題だ。失政のツケが社会的な弱者に津波の様に押し寄せている現実が分からないのだろう。体験しないから分からないというつもりはないが、今の政治家特に二世三世議員には無理かもしれない。体験しなければ分からないと逃げ込めば大仰に言えば文学の否定につながるか、元自動車メーカーの契約社員がこれに逃げ込まなかったのは評価できて応援したい気持ちだが。税金は高くなってもいいから最低の生活保障をして下さいね、タローちゃん、憲法読んでね。