原産地表示の功罪

和歌山県の紀州産梅は中国産の梅と区別するため政治的に圧力を強め、原産地表示の法律を定めた。一方仙台の長なす漬はもともと南方原産の長なすがインドや中国が産地で、昔から外国産の長なすを使用していたのです。それが原産地表示が義務となってからインド産、中国産では売れなくなってしまった。元々嗜好品性が強く高級品ですから、それが中国産原材料を表示されたのですから、撲滅的打撃です。
山形の伝六豆も中国から豆を仕入れていたと聞いたことがあるが、どう対応しているのでしょうか。

遅れてきた春

股引をステテコに長袖下着を半袖に初めて取替えがゴールデンウィーク。
昔の旅仲間と新潟県で久しぶりに会う。
私は地球儀持参で次の旅への夢を一晩語り合うつもりでした。
山菜も一週間か十日間くらい今年は遅い。別荘地土木工事も雪解けが終わり、土が完全に乾くタラの芽が咲く時期に始めるのが慣習です。永い冬が終わったが、桜が漸く咲き寒いので開始から散るまで十日も持った。途中雨が降り例年の暖かさはない。厚化粧を落とした顔のようだ。女性の厚化粧と下着の汚れは比例すると誰か言っていたっけ。
何もかもうれしくない天気も経済も政治も日本。どうしてこうなってしまったのだろう。反対に連日、万博中国の威勢のよさがマスコミを賑わす。もめにもめている沖縄も本土、内地の人間の人ごとのような無関心さが元凶だろう。
敵は民主党ではなく、本能寺、即ちアメリカだろう。今回の民主党の功績はこれだけ在日アメリカ軍の沖縄基地問題を世間に知らしめたことです。厚い壁のアメリカにどう立ち向かうか。武器を使う戦争では一回戦で日本の負け。世論の高まりと全日本人が関心を持ち戦争に負けた60数年のつけをこの際チャラにするしかない。
沖縄県の高台に広く悠々と住むアメリカ軍人達、周りの海辺にへばりつくように住む沖縄人、戦争に負けたと言うことはこういうことなのだと現地に行ってみるとつくづく思い知らされる。私の住む近くの横田基地も同様だ。友人が経営する鉄工所に泥棒が入り鉄くずとアルミくずが盗まれ警官が事情聴取に数十分きたが、被害届を出したっきりだ。
反対にアメリカ軍基地の金網フェンスが少しでも破られれば刑事警官がぞろっと来ていろいろ聞き込みをしたり、その真剣さが違うと鉄工所の友人が嘆いていた。
まだまだ日本はアメリカの植民地だ。日本国民の精神も国の実態も。

中国ホテルバイキング

中国ある地方都市での朝食バイキングの時、私は中国旅行者団体、それも高齢者の方々とレストランで遭遇した。
この町は北朝鮮の新義州市と鴨緑江を境としている丁寧省丹東市のことです。
この日バスは朝8時30分1本しかない。ましてや6時間の行程だ。バスの質の程度も料金47元(650円)から予想してかなり低そうだ。途中故障でもして集客全員で押してくれなどと言われないだろうか。この様な情況の中で早めの朝食で出発までゆっくりし、心の準備、よし行くぞとしなければならない。同行は78歳の朋友だ。ホテル朝食はバイキングで7時の開始に行くとすでに満員に近い。私達と同じように前期と後期高齢者たちだ。1泊1室180元日本円2500円(二人一部屋)のホテルにしてはまあまあの状況だが、朝食もそれなりのバイキングだ。
大勢の中国人が群がる食材台の為、こちらは押されてなかなか思った食材に届かない。
そのうち箸がなくなったと誰かが騒ぐ。慌てて女性従業員が素手でまとめて50組ぐらいドーンと置く。私達は3点ぐらい手にして漸くテーブルを見つける。
周りや隣の中国人の食べ方①スパゲティーを音を立ててすする。②スープを皿を浮かずに口を持っていってこれも音を立ててすする。③食べ物を口に入れたまま歩き回る。
一人が途中で席を立ち追加の料理を取りに行ったが、従業員が終了したと思い食器を下げようとしたが、それを見ていた当人は遠くから大声で怒鳴る。まだ食べているぞ。と
隣の婆さんぺちゃぺちゃと音を立てて食べる。みんな山盛りだ。中国何処から来たとのかと聞くと、・・・省から省名は彼らの名誉にかけて言わない。

敵は本能寺、アメリカだ、沖縄普天間

五月までに移転を決めると鳩山首相は自信たっぷりの発言だが、あっと驚くような解決策が出そうもない。
沖縄へ行ってみるとわかるが、島の高台にはアメリカ軍基地があり、広々とした住宅や庭ゴルフ場など高級感が漂う。一方沖縄住民は基地の周辺や浜辺にへばりつくように住んでいる。そして爆音に悩まされ、殺人、少女を強姦した米兵は基地内へ逃げ込むと日本の警察は手が出せない。治外法権に悔し涙の日々を送る。
戦時中も本土決戦のため沖縄住民が意図的に戦争に巻き込まれ人口の四人に一人が死亡した。本土のための時間稼ぎのために。
ようやく決戦植民地から日本復帰を果たしても日本全体の75%の米軍基地がこの地にあり住民を苦しめている。
このところ鳩山政権の批判が強まっているが、それでは自民党の時代はこの様な移転問題はどうして起きなかったのでしょうか。政権はアメリカべったりで特に小泉政権の時はブッシュのぽちと呼ばれた小泉純一郎は時に盲目的に言う事を聞き、沖縄基地移転どころか、アフガンやイラクへのアメリカ侵略戦争、つまり正しくない戦争に数百億円のお金まで献上する民主党を肩入れするつもりはないが、沖縄の問題を大きくした功績は結果として点数をあげる。この問題解決はアメリカ基地が日本から引き上げることしか解決の道はない。戦後60数年たった今、世界情勢も劣化し、ソ連がこけ、子供だましの北朝鮮のはったりに悪乗りする防衛問題も冷静に見れば米軍基地は不要なのだ。
先ずアメリカとの話し合いなくしては何も解決しない。それにはどうしたらいいか、答えは簡単だが。先ず日本人全体が沖縄の状態を自分のことと思うこと、これが難しい。自分の生活に追われている毎日、沖縄まで飛行機で行ってデモ参加などの行動は出来ない。しかし都内なら60年安住デモの時のように何十万人が国会議事堂にデモを繰り返すことだ。そうなると民主党政権は否が応でもアメリカに国民の声として強く国内沖縄基地を国外への徴兵を申し出るしかないだろう。
日米安保の堅持を主張するが、民主主義の国としてまさか日本を武力をもって攻撃してくることもないだろうし、中国が台頭するなかフィリピンと同じように米軍を引き上げざるを得なくなるではないか。
今毎日五月まで鳩山首相が結論を出すと言っているが、無理だろう。グアムがいい、その他の国内移転は何処にもないなどと喧々諤々だが、敵はアメリカにあることは漸く鳥越俊太郎が言い出したが、他は鳩山氏のリーダーシップの無さやたらい回し論に明け暮れている。まるで知恵のない夫婦の喧嘩だ。
本当の問題は外にあるのに、外圧のため気分が悪くなるととりあえず近くにいる者に当り散らす悪い癖というか、感情論に走り本当にその問題を解決する糸口が見つからないで右往左往するのだ。敵は本能寺、アメリカで日本安保条約を見直し、国民の声として基地撤去を強く申し入れる。アメリカにへつらってきた今までの政権と違うのだと見せてやって欲しい。右翼も借金取りのときだけに街宣車を使うのではなく、こういう時こそ日の丸の国旗をなびかせ街宣車で米軍基地や国会議事堂をデモって頂戴よ。
左翼も最近静かな共産党も赤旗を立ててデモの先頭に立ち、落ち目の日本を救いたまえ。と言いたい。
日の丸掲揚を学校の先生だけに向けていじめないで米軍か、国会議事堂に向けて旗なびかせ強気をくじき弱きを助ける石原慎太郎知事もここはひとつアメリカ軍基地にノウと言って大衆を引っ張って貰いたい。

リゾート不動産会社社員のぼやき

(1)ある別荘地管理会社の社員の胸のうち
ある別荘地管理会社の悩みは、お客さんは管理費を沢山使うほど喜んでくれる、会社は出来るだけ使うな、節約しろという。この狭間の中で管理業を営んでいくのは当初からわかっていることだ。それではこのあたりの基準やよりどころは何か。数字や決まりで実行してもうまくいかないだろう。そうではなくて多分真心だろう。本当に自分が別荘地を持ち暮らして不便を感じることを取り除くことだろう。その次に自分が不便なことと思う尺度では判断しないことだ。相手の不便の内容を一言で片付けないで、よくよく吟味してみることだ。他の別荘管理人から同じ問題を聞いてみることだ。現実に現場で別荘暮らしをしている人達と毎日接していると、この様に考えてしまう。私は会社にとって好ましい人物だろうか?
(2)ある別荘地販売不動産会社の社員のおもい
私はここ十数年別荘地を販売することに一生懸命だった。他の社員と比べてもそこそこの実績を残してきた。しかし最近土地を買って別荘を建てた人々の別荘ライフが気にかかる。本当に楽しんでくれているのだろうか?そうだ、自分のやっている仕事は本来顧客の目的の入り口に過ぎなかったのだ。土地を買い別荘を建てて利用する、私達のやってきたことの最終目的はお客様が別荘を建てて楽しく過ごすことのお手伝いだったんだ、これがうまく出来なければお客様も満足できるはずがない。
これからの商売は会社の都合ではなく、お客様のニーズに応えることだ、それが最優先だ。その結果として土地も売れるし別荘も建つのだ。ひいては会社の業績も上がるのだ。とかく土地の販売は大きなお金が動いて営業員や会社にとっては嬉しいが、その対極にあるのが管理業務だ。地味な仕事で苦情処理や細かいトラブルなど処理におわれるストレスも溜まる。ある会社の社員は別荘地管理業務はストレスを喰って肥れというか並みの人間ではとても無理だ。しかし別荘ライフを楽しんでいるお客様を見ているとこちらも心が和む。自分の好みにあっている商売だと最近つくづく思う。

北国の春は遅し

村便り、四月十二日は雪も融けて初めて山に入る林業の人達がお祭りです。村はずれの十二様という山の神様にしめ飾りを張り、お参りして朝から酒を飲んでいます。毎月十二日は林業は休みで、特に四月は雪が解けて長い冬から覚めてまち続けた作業に入れる日です。
当日は小雨交じりの寒い日で、こちらも顔見知りの人もいたので山の神にお参りして一献きこしめさせていただきました。寒さの折、ぐいぐい冷酒を勧められ、昼ごろには出来上がり、そのまま温泉に入りその日の仕事はおしまい。無病息災を祈願し朝からおおっぴらに飲めるのでのん兵衛にとっては楽しい日。温泉のあと昼寝をしてまた十二様の神社の前を通ったらまだ男三人女一人が飲んでいた。トイレがないから清流に長々と立ち小便しているものもいる。雪解け水がゴーゴーと流れる沢水を少しでも増やそうなどと抜かす。
新しい道路を当社整備で造成するために、狭い部落の人二十数人に土地提供の了解を得て同意書を貰うことにここんとこ専念させている社員とともにかく地主を回る。
第一回目の説明会は昨年十二月だった。そのあと担当が各家を回り始めたのが一月下旬でした。素直に同意書に押印してくれた人が三人、賛成するけど雪が解けて立会いしてからが五人、みんなが賛成すれば自分も賛成するという人が圧倒的な数で、お互いに牽制でもしているようです。この皆が賛成が要注意です。一見賛同してくれるように見えるけれど、仲の悪い人が賛成するから嫌だとか、皆とは何人なのか、全員かそれとも過半数か、つまり漠然としている。こういうことは流れを作らなければならない。
賛同のだ。長老、実力者の一人と痛飲しなければいけないかもしれません。
それぞれが意思表示を明確にしないで、周囲の動向を見定めてからの行動、意思表示は昔からの生活の知恵のようだ。物事の善悪は別として、近所との協調性を先ず第一に、その次に対象物の参加不参加を決めるのです。
波風、対立を嫌い日本人特有の赤信号皆で渡れば怖くないのだ。みんなの党が現れたが、良くも悪くも何となく親しみあふれる名前だが、主義主張政治理念などは見えてこないが、混乱を極めている最近の政界で二大政党どちらも行き詰ってしまったので支持及び人気を増しているのがこのみんなの党です。
話は横にそれましが、今年の春は特に遅い北国、雪国ですが、農作物への影響が今のところ悪い影響は無さそうですし、土建屋さん、大工さんの仕事が激減はここ数年来のことですし、自給自足に近い生活を強いられて月に五万円前後で暮らせる農家の人にとってはいつもの年と変わらない雪解けの四月でした。

結婚式で想う事

友人の息子さんのある結婚式に招かれた。恋愛して結婚、子供を産み、育て、無難かつ平凡な人生を送って貰いたいと我が子には思うのだが、振り返って自分自身のことを思い出すと、あまりに偉そうなことを言えないし気が引ける。そんなことをぼんやり考えながら手元にある辞書で恋愛と引く。そこには「特定の異性に特別の愛情を抱き愛し合うこと。更に二人だけでずっと一緒にいたい、出来うるなら合体したいという気持ちを持ちながらそれが常にかなえられない。(まれにかなえられて歓喜することもある)でひどく心を苦しめる状態を言う」とあった。
最近の若い人達はさっさと合体ばかり済ませてしまって、この辞書にあるように悩んだり苦しんだりするのだろうか、などと思い過ごした。
この時、両家の親族が初めて見る新郎新婦に対してどの様なことを思い考えているのだろうかと勝手に独断と偏見に基づいて予想してみた。つまり、親族の腹の中を探るのである。新婦側の親族から新郎を見て、まず父親はよくも大事な娘を盗んだなという気持ちがありありと顔に出ていて、こうなった上は必ず幸福にせよという、不安と期待で一杯であるということが予想された。
又、新郎の外見はよさそうだが、見てくれだけの男ではないだろうか、中身もしっかりしていて、甲斐性もあるか、人生真面目に生きる奴か、浮気などして女房を泣かすのではないか、どのくらい偉くなるか、など思っているのだろう。
次に新郎側の親族から新婦を見て、よく気が利いて妻としてうまくやってくれるだろうか、物事をきちんとこなして、子供も数人産んで夫を支えきちんと家庭を守ってくれるだろうか。銜えタバコで片足を組み、パチンコなどやらないよね、などである。
親戚の中には口うるさいおばさんの一人や二人いるもんだ。こういう人達とうまく付き合ってくれるかな、などである。
一方、当事者の二人は自信満々悠々としていて、知ってか知らずかニコニコ笑って何の罪もないのだ。両家の親族は内心はこの様にしていろいろ心配しているのだが、本日の披露宴にて大丈夫というお墨付きを得たいのだと思われる。
結婚は二人にとって国と国とに例えるなら、安全保障条約と相互不可侵条約の締結みたいなものだ。お互いの安全を保障するということは、敵が攻めてきたら自分の命を掛けても相手を守らなくてはならないのだ。もうひとつの不可侵条約は、二人の内面的から精神的なものだ。夫婦と言えども個人の主義主張、イデオロギー、趣味、人生観などは尊重されなければならない。精神的面での干渉は相互にさけることだ。よく二人の価値観が同じだから一緒になるなどという人達がいるが、二人の人間が全く同じ価値観など持てるわけはなく、ましてや全く別々の環境で育った二人が一緒に暮らすのだから、価値観が異なる方が当然だ。この個人の価値観の違う処を相互に立ち入らないことが大切だ。相手の友人が同姓異性にかかわらず大切にしたい。又、選挙のときに投票を強制したりしないことだ。主義主張思想も認め合うことだ。
相互に立ち入らないところを残しておくことや、ちょっと変わった意見もいきなり拒絶したり馬鹿にしたりしないで、よくよく吟味してみよう。
しかし、そうは言っても毎日の生活を送っていくには、谷あり山ありなのだ。
特に人間、谷の時は弱いものだ。谷とは、人間関係のいきづまり、金銭関係、ケガ、死亡などだが、人間困難にぶつかるととりえず手近にいる者にあたりたくなるものだ。
原因を持って行きたがるものだ。感情的になればなるほどエキサイト、エスカレートしてくる。良い結果は生まれない。そこで人間はある道具を使ってこれらの困難を乗り越えなくてはならない。道具と言っても、トンカチやノコギリではない。それは我慢という道具だ。耐える、辛抱すると言い換えても良い。
人間の感情を抑えるための我慢という道具は、口で言うほど易しくない。この我慢は自分を養育するしかない。この我慢を養育するには、知力、知性が必要だ。これがないと感情は抑えられないことが多い。物事の発生原因を論理的に考え、またその対応も同じように論理的に考える癖をつけるのが知性や知力だ。これらを育てるのは本をよく読むとか、目上の人の意見を良く聞くとかにて養うしかないだろう。
”金持ち喧嘩せず”という諺がある。金持ちはどういうわけか知力や知性のある人が多い。多分頭が良いので金持ちになったのだろう。だが金持ち同士は時には喧嘩をする。
但し、お金について言えば、金持ち同士は金が入って来てからもめたりするが、喧嘩に負けても多少は実入りがある。これが金持ちの知恵。
ところが、貧乏人同士の喧嘩は金が入ってくる前に喧嘩をしてしまうのだ。
だから金のほうでさっさと逃げてしまうのだ。つまり感情的になって、気が済むまで相手を罵ったり、暴力に訴えれば後味は悪いし、結果は大損だということを論理立てて考える癖をつけることだと思う。
ヨーロッパなど先進国は、二十世紀世界で二回の大戦争を繰り返し、この経験から学び、もう争いはしない。アフリカ、南米、ボスニアなど後進国は現在も争いが絶えない。貧しい者ほど争い、ますます貧しくなっていく。人間争わないことだ。
こんなことを考えているうちに結婚式は終わった。

中国の四大美女

中国四大美女として西施、王昭君、貂蝉、楊貴妃がいる。それぞれ欠点があり、西施は大根足、貂蝉は耳が大きすぎてその耳が反り返っていたのでわざと重いイヤリングをつけていたとされている。
王昭君はなで肩(中国ではなで肩が恥ずかしいとされていた)、楊貴妃は脇が(玄宗皇帝も大変だったね)だった。今回は耳の大きな貂蝉を取り上げてみる。
 後漢の時代、献帝の治世は乱れに乱れて首都洛陽は董卓という武将が権力を一手に握っていた。この人物、横暴の限りを尽くし献帝も皇帝でありながら、董卓のあやつり人形だった。この董卓を倒し新たな羅権を得ようと後の三国志の主役達が連合して洛陽に向かって攻める。魏の曹操、呉の孫堅、蜀の劉備達だ。
これに恐れをなした董卓は都を長安(今の西安)へ遷都する。残虐な董卓は当時百万人いたとされる全人民を三百キロも離れた長安へ強制的に死の後進をさせる。少しでも遅れたりした人民は忽ちのうちに殺してしまう。又、敵に内通した疑いのある高官をひっ捕らえ朝臣列座の中で首を切って、その首を大皿に乗せそれを肴に酒を飲めと皆に強制するのだ。皆は生きた心地もしない。この酒の席で一人の高官がクーデターを企てた。
王允という。王允の邸宅に囲われていた歌舞伎の奴、言ってみれば妾か女奴隷である絶世の美女貂蝉が登場する。賢い彼女は主人の王允の気持ちをよく理解し、身も心も命さえもささげる事を誓う。王允が考えたのは暗殺だ。
董卓の部下に呂布という勇猛な武将がいた。董卓の側近中の側近だが、その性格は董卓に輪をかけて残虐だ。暴虐、大酒飲み、女たらしときて現代版タイガーウッズだ。二人とも女色に弱い点で貂蝉を使い三角関係をつくらせ、呂布に董卓を殺させるという手なのだ。これが世に言う「連還の計」だ。
まずそのⅠ 呂布を王允の家に招待し貂蝉がホステスをつとめ盛んに呂布に秋波を送る。女湯しの呂布は一級の美人からウィンクを送られてすぐメロメロになり、心をとろかせてしまった。このチャンスに王允は呂布に「近いうちに貂蝉をあなたに差し上げましょう。」と切り出す。呂布は天にも昇る気持ちで帰っていく。
中国では当時女性は人間として扱われることなく、物や戦利品として扱われていた。現在でも人権などあまり認められていない国なのだが・・・。
そのⅡ その翌日、今度は董卓を招き、又貂蝉の虜になる。短気な董卓はすぐに馬車に乗せて連れ帰ってしまう。
そのⅢ 呂布がまたきて貂蝉いないのをカンカンに怒っていたが、王允は呂布に向かって「董卓様は吉日を選んで呂后と貂蝉を夫婦にしてやろうと連れて行ったのです。」と嘘を言う。その頃董卓は貂蝉に溺れ切っていて、そんな気持ちさらさらない。焦った呂布は待ち切れずに貂蝉に言い寄るが、彼女は涙を流して董卓の乱暴ぶりや悪口を訴え「あなたと一緒になれないなら、いっそ死んでしまいたい。」などと口説く。
このあたりは今も昔も同じで女性が好きな男性に自分への関心程度を探るためのジャブで常套手段でもあり、男心を捉える為によく使う手だ。
殺意を生じた呂布は親分の董卓を殺す密約を王允と交わした。何も知らないで朝廷へおびき出された董卓は兵に捕らえられてしまい「呂布はどこだあ、助けてくれ。」と叫び、踊り出た呂布にあっけなく首を飛ばされてしまった。あな女は恐ろしや。この後呂布と貂蝉も数年後に殺されたり死んでしまう。
美人とは関係なくもう一人烈女を紹介する。但し食事時は避けるよう申し上げておく。
この前の漢の時代の話、漢の高祖劉邦は天下を取った後、苦労をともにした糟糠の妻呂后をないがしろにし、若い側女威夫人に溺れる。又々威夫人は劉邦との間に生まれた息子如意を次の皇帝にしようと考えていた。
憎憎しく思っていた正妻の呂后は「ババアだと思って馬鹿にしやがって、今に見ていろ。」と日々思っていた。威夫人にとって不幸なことに劉邦が先に死んだ。
呂后は威夫人をひっ捕まえ、まず息子の如意を毒殺する。次に威夫人の頭を剃り、首に鉄の枷をはめ、囚人服である赤色の衣服を着せる。そこで終日米をつく罰を科した。
憎っくき威夫人を一思いに殺すことをせず、じわじわとなぶり殺しにして恨みを晴らそうとしたのだ。さらに両手両足を一本ずつ切断し、焼火箸で両目を潰し、くりぬき毒薬で声を奪い耳を削り落とし便つぼの中に入れて人豚と名づけた。
中国では今でも農村に行くとトレイに豚を飼っていて、人間が用を足すとき、下で待っていて人糞を食べさせる。処理も出来るし豚も肥えるし一石二鳥だ。
出血多量で死なないようにしばらく生かしておいたというから凄まじい。
くわばら、くわばら。   『十八史略』より

中国三峡ダムと日本八ツ場ダムの比較

過日、中国重慶の友人を訪ねた。重慶は人口3000万人の大都市で直轄都市でもある。
重慶からバスで2時間ほど終点洪湖で下車。徒歩20分、霞ヶ浦ぐらいの大きさの湖の波止場につく。小雨の中、かなり寒い。50人乗りの鉄のぼろ船が2台待機。
小学生の低学年児童かそれぞれの船に30人ずつ程乗って出発を待つ。この日は金曜日の午後で湖周辺の居住の子供たちは毎日通うのが大変なので週末のみに帰宅であとは寮に入っているとのこと。今日はうれしい自宅帰りだ。友人の故郷までの約40分あまりの間3箇所ほど湖岸に接岸の1戸~3戸の部落に少しずつ下船する。
接岸といっても何も波止場があるわけでなく、船のへさきだけを土手にぶつけるように陸地に船体の一部を突っ込むという感じ。接岸するかしないうちに元気に子供たちは飛び降りる。
1番目でほとんどの子供や少し大人が降り2番目3番目は3人と1人と少なくなりこの1人の女の子が飛び降りると実母らしき一人と犬一匹の出迎えだ。
犬は大喜びとこの子に飛びつくようにじゃれ尻尾をふる。印象的だ。最後に私達だけとなり小雨の中下船、目の前の小高い道を200mほどのところに2件の家がありその1軒が友人の実家である。半農半漁村で川魚のまぶなを釣って市場へ売りに行くのだそうだ。
電気はきているが燃料はまきのみ、風呂はなし、手ぬぐいタオルのみで洗面所で顔や手を洗う毎日だ。田んぼもあり米がとれ、にわとり15匹、犬1匹、私の同い年の夫婦と孫2人それにアヒル2羽、豚親子で16匹ほとんど自給自足に近い生活だ。
久しぶりに帰った友人は南の広州からの帰郷ですからその晩は60℃の白酒にて大歓迎、外の寒さも苦にならずこの家の1室に泊めてもらう。
2日目、もちろん商店街もコンビにもない。日曜日、主人の手こき船で1時間ほどで町に着く。小雨の中湖面を渡る風は冷たいが、古いテレビが故障のため主人が船からおりると竹のかごに入れてテレビを担ぎ私達も歩き出す。30分ほど歩き町につくが本日月1回の文字通り1ヶ月に1度の市だ。
小雨の中テントを道両側に2㌔程並ぶ。衣類、果物、肉、魚(ほとんど川魚)、電気製品、野菜などスーパーの品目全て並ぶが清潔さや品質などちょっと手が出ない。せいぜいみかん、マンゴー、バナナぐらいか。
3日間滞在し重慶より三峡下りの船に乗る。二等観光付一人900元(12,000円)3泊
一部屋4つのベッド 日本の山小屋より質が悪い。素人大工が余った木材で作ったようで天井が低く硬いベッドだ。トイレもシャワー室もあるが便器の質が悪いので臭いが逆流してくる。食事は時々下船して観光地の売店のうどん、饅頭など一皿一人3元~5元(40円~70円) 快適な旅とは到底言えないが、カラオケ、麻雀などやり放題で中国人の生活様式などよく観察できた。
三峡下りは揚子江を船で下ってみると第一印象は日本の中ぐらいの大きさの湖がそれぞれつながっていると言う程馬鹿でかい川だ。両側が狭まり切り立っている箇所がそれぞれ名所の三峡となるのです。
 さて、4日目の昼終点の宣昌という町に到着。大きな町だが三峡ダムの町だ。
世界一のプロジェクトだが、日本人の私はダムは見慣れているのであまり感動しない。但しパナマ運河と同じ階段式の航路を大きな船が通過するのは初めて見た。さてどれくらいこのダムが大きいかを今日本で中止となり話題の群馬県の八ツ場ダムと比較してみましょう。
                            比較八ツ場ダム1として
三峡ダム                             八ツ場ダム   
発電力量  1820万キロワット        1555    :     1
ダム貯水水位の高さ 175m         1.5     :     1
洪水防止の貯水量 22,150,000,000㎥    2461    :     1 
貯水総量     39,300,000,000㎥     367    :     1
ダム建設に伴う移住民  113万人      941    :    1
通過船舶 1万トン                10,000    :     1
総工費       2兆6000億円       5.65    :    1
満水時の距離     650km        100    :    1
後遺症の懸念
イ.移転住民に対する不適当な対応、強制
ロ.自然環境の大いなる支障
ハ.ダム建設に伴う川床の土砂が滞留し重慶の港が浅くなり大型船が利用できなくなる
ニ.戦争になった時敵の攻撃ポイントとなり爆破されると中流以下上海まで水浸しになり大損害、戦略上ウィークポイントとなる

八ツ場ダム
発電力量   1.17 万キロワット
ダム貯水水位の高さ  116m
洪水防止の貯水量   9,000,000㎥
貯水総量        107,500,000㎥
ダム建設に伴う移住民    1200人
通過船舶          0
総工費         4600億円
満水時の距離      6.5km
後遺症の懸念  草津温泉の廃水、鉱山跡にて飲料水の不適

実際現地に行ってみると、貯水他ダムの為の湖という概念は吹き飛び元々あった何十という湖が連続して上流からダムまで続きその上に現在2010年3月ダム最低部より160mの高さまで貯水しつつありますが、さらにあと15m合計175mの高さまで湖の上にまた水がたまるという感覚です。比較ポイントの距離を八ツ場ダムと比較するとわかるように東京から静岡県まで続く細長い湖という感覚です。

アジアでダメ政治家と指導者

昨年8月までのアジアでダメで無能な政治家、国家の指導者を挙げるとワーストスリーはダントツいわずと知れた北朝鮮の金正日、次に日本の麻生太郎、3番目はタイのタクシン首相と続いた。
一気に昭和30年代に時の国家指導者でアジアでダメな政治家は日本の岸信介、韓国の李承晩、台湾の蒋介石だった。
安保条約反対でデモで死者まで出して首相をおり元々彼は戦争中に財務大臣を務め敗戦となり、A級戦犯であったがアメリカの言うことを聞いて総理大臣までなった。
この孫が安部晋三だ。李承晩も朴正煕の軍事クーデターにてアメリカに亡命した。
通常国の指導者がクーデターを起こされると、ルーマニアのチャウセスクのように人民に公衆の面前で八つ裂きにされて殺されてしまうか、第三国に亡命するかだ。イランのパーレビ国王やベトナムのグエンカオキ首相などアメリカに亡命し、グエンカオキはタクシーの運転手になり成功して今ではベトナムに時々帰る途中日本のビールファンのため東京に立ち寄り今や立派な社長さんだ。
時は移りダメな政治家はどんどん出てくる。フィリピンのエストラーダ大統領は官僚を呼んで麻雀賭博や大統領権限をいいことにして手当たり次第手近なところで女性に手を出して辞めた。日本は森喜朗だ。あまりの無能さに国民から愛想を着かされて辞めたが、今でも隠然たる力を持っていると思われたが、昨年の選挙で大敗した自民党の長老実力者も今では見る影もない。自民党敗因はこの長老たちにある。すぐ辞めるべきだ。
自民党の再生はこのあたりにかかっていると思われる。さて北朝鮮はどうか。
正ちゃんこと金正日は親爺の金日成が死んで14年が経つが、金日成が死ぬ前までは「親金こければ子金もこける」と言われたが、恐怖政治、密告奨励の弾圧政治をしぶとく続けいまだに健在だ。多くの人民を飢餓状態にし栄養失調で死なせ塗炭の苦しみを与え自分の家族だけ丸々肥えている。親から国の最高指導者を継承するところなどは正に金王国、骨董的な国家だ。最近では経済の行き詰まりから誰の発案かもしれない一人前にデノミなど実施し大失敗してますます国家をやせ細らせて行く。
対局にあるのが韓国の天才、金大中だった。彼には日本の二世政治家たちも歯が立たないし、政治哲学、信条、経歴、いずれも他の政治家よりも群を抜く。ノーベル平和賞も当然だ。南北首脳会議が実現したのも正ちゃんが金大中を信用したからだ。
金大中は反体制政治家であったから、韓国が朴政権から全斗煥が大統領の頃、国家保安法という悪法により牢獄に入れられ拷問を受け死刑宣告を受けたり日本から悪名高きKCIAに拉致され海に放りこまれそうになったのを九死に一生を得て大統領になった。
自分が大統領になれば凡人であれば当然仕返しを考えて昔金大中を虐めた側が戦々恐々だ。ところが仕返しはしないと国民に約束した。これを見ていた正ちゃんこと金正日は金大中を信用するようになった。つまり金大中は大統領であれば北朝鮮でクーデターがあっても南の韓国へ亡命すればなんと生命を落とさずに済みそうだ。金大中を頼れば大丈夫かもしれないと考えたのだ。強行弾圧政治を続ける為政者はいつも心の中では自分が反対にやられるかもしれないと恐怖心を抱くのは人間の常だ、弱さだ。だから正ちゃんは喜んで会談に応じたのだ。会談では正ちゃんははしゃぎまくり金大中は深く考え込んだ様子の顔をしていた二人は対象的だった。金大中は常に腰を低く親爺金日成と正ちゃんを持ち上げ、腹の中はこの男で大丈夫かとまたずっと将来のことを考えていた。
さて正ちゃんはクーデターが起きた場合、何処に逃げ込むのか。ひとつは中国、もうひとつはロシアだ。しかしかれはあまり双方の国は好きではないようだ。見栄っ張りの彼は本当はヨーロッパやアメリカで暮らしたいのかもしれない。日本に亡命して平壌冷麺や仲間が多いパチンコ屋でもするか否拉致問題が片付かないと日本亡命したとしても虐め抜かれるだろう。自分のせがれを偽パスポートで日本に行かせるぐらいだから。麻薬で儲ける、武器売却で儲ける、テロもそうだ。何度もありの国なのだ。正ちゃんの性格がわかるような気がする。この拉致問題で日本政府がどうして弱腰かというと、植民地時代の借りがあるからだ。正ちゃんが拉致問題を認めざるを得なくなったら、彼はこう言うだろう。「うーむ、ばれたか、仕方がない。」と開き直って「ああやったよ。拉致したのはたったの200人位だ。それに比べて日本は植民地時代我々の全財産、文化、言語まで奪ったじゃないか。若い女性は兎狩りと称して掴まえて無理やり従軍慰安婦の性奴隷として、男は日本に連れて行って鉱山や鉄道建設のための強制労働だ。それも何万人もだ。このため多くの朝鮮人が無念のうちに他国で死んだ。さあ、どちらが大きな罪か、と・・・。」こう言われるのを日本政府は恐れているのだ。
それでは一人1億円づつで計算してみよう。日本人は200人を拉致したので、200人×1億円で200億、人間並平等北朝鮮は植民地時代少なくとも10万~20万人が拉致同然死に場所もわからない人がほとんどだが、大サービスで10万人におまけしておきましょう
100,000×1億は合計10兆円だ。差引き10兆円-200億=9兆9千8百億円を支払って貰おうとくるだろう。一方石原慎太郎なんてことを抜かすんだ。金の野郎の首を取って来い、賞金を掛けるなど10億円だ、さもなくば戦争だ、北朝鮮と戦だあ。これを聞いて喜ぶのは三菱重工と石川島播磨だ。もっともっと正ちゃんと慎ちゃんに頑張って貰わないと・・・。