もしもの仮定の話ですが、先進国の中で食糧の輸入が一切止まったとしよう。戦争とかで。そのとき1月1日から何日間でその国の食糧がなくなるかを予想した話しを聞いた。第一はオランダ、3月3日全て食い尽くす計画
第二番は日本、3月4日全て食い尽くす計画
自給率40%(カロリーベース)の日本のなんと寂しい事情だこと。
昔の戦争でひょうろう改めという言葉があったが、日本の事情は何とも頼りない。
原材料を仕入れ加工し工業製品などを輸出して儲けていたが、うまくいったが反対に農業政策は失敗の連続です。減反政策や補助事業、補助金づけなどこれでは戦争どころではない。日本がアメリカ、中国と戦争したらシーラインは止まり食糧は入ってこなくなる。3月4日から1ヶ月で全員餓死だ。万歳して死ぬか水を飲んで耐えてきたが万歳する元気もなくようと白旗を掲げるか。
戦争と言えば中国とアメリカが戦争となったら中国の絶対勝つ方法。
アメリカに宣戦布告したと同時に中国のあるだけの舟に白旗を掲げ、食糧と水を一杯に積めてアメリカに向かって進む。総人数、5000万人とか1億人が太平洋を超えてアメリカ西海岸に漂着する。次から次へと。
途中日本にも500万人漂着、日本もアメリカも大混乱して治安が悪いところではない。
食糧強奪、中国人ホームレス、公園も何処も満杯、空地や道路はウンチだらけ。殺すわけにも行かず早く本国へ引き取ってくれと日本政府もアメリカ政府も参った参った。
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納豆の食べ方
元々粘りのある食べ物は体に良いとされていますが、納豆もそのひとつです。
私は小さい頃疎開先での小学生で昭和26年中頃近所の個人納豆製造販売をするとこにアルバイトをしたことがある。毎朝リヤカーにわらで包んだ納豆を各家に配達するのです。リヤカーの後押し個人の家へ。そこの親爺がリヤカーを引っ張りながら掛け声を掛ける。配達先は決まっている家もあって道路からその玄関先まで届けるのが僕の役目、あとはリヤカーの後押しあとは親爺が用足しなどでリヤカーを離れるときの見張りです。食糧事情が良くない時代でよく売れた記憶があります。ところがある突然この納豆屋が製造中止となり、行かなくてもよいことになった。なぜか食中毒だ。納豆が原因で食中毒が生じたが人が一人か二人死んだようだった。倉庫の中でねずみの小便が原因らしい。在庫の納豆は全てただで貰えるからと言われたので近所の人達は何十人も押しかけあっという間に片付いた。私の家は貰いに行かなかったように記憶している。やはりいくら食糧事情が悪くて家族7人(両親と兄弟5人)とは言え生命の安全を親は考えたらしい。その事故の生じる数日前に美味しい食べ方を教えてくれたのが納豆屋の親爺さん
1、食べるだけ入る大きなどんぶりなどを用意する。例えば3人分なら茶碗のお米4杯~5杯
2、そのどんぶりに納豆を入れて10分以上力を入れてかき混ぜる。真っ白になるまでひたすら汗をかきながら箸でか
き混ぜる。
3、そのあと醤油、西洋辛子、しらす干し、薬味のねぎを入れて10回ぐらいかき回す。
4、そのあと白飯を人数分だけ納豆をかき混ぜたどんぶりに入れてかき回す。
出来上がり
*納豆のねばねばが貴重品で白くなったねばねばが美味しい。どんぶりにつきねばねばも食べなきゃあ。ねばねばのあとの豆はエキスを取ったあとの残りです。どんぶりの中のねばねばをそっくりご飯にこすり付けるように丁寧に擦り取り茶碗に盛り付ける。
*納豆とオクラを一緒に混ぜて食べるも良し。元気が出るよお・・・・。
小沢一郎の逆襲と旧政権の悪事隠ぺい
空想ライスカレーとカレーライスの対決
社民党党首の福島瑞穂が民主党と自民党との違いをいみじくも例の尻上がりの口調で政権奪取前に言い当てた。カレーライスとライスカレーの違いだと。今盛んに民主党というより小沢一郎、鳩山由紀夫への攻撃が日々盛んに行われている。早く景気を良くしてくれとの国民の第一の希望を無視して自民党は鳩山の金の問題を取り上げカレーライスとライスカレーの無意味に近いじゃれっこをしている。高い税金を使って国会討論という暇つぶしを。異常である。田中角栄、金丸信、小沢一郎ラインと犬猿の仲。ロッキード事件以来もっとも自民党的体質の小沢一郎を血祭りに挙げようとする検察、これに対して十数年下野して岡田、前原、鳩山の民主党頭首が出来なかった政権交代を実力で奪取したのは国民誰もが認める政界実力第一人者の小沢一郎。相撲の朝青龍と同じで実力抜群だが二人とも人に好かれない。この辺りが日本人の性質の癖の悪いところで、何となく正義、道理、論理より感情で動いてしまうところです。せっかっく自民党が駄目で民主党を選んだのだから半年やそこいらで引きづりおろさなくてはいいではないかとこの国会のニュース、その他のマスコミを見ていてそう思えてきた。これは何かあるぞと。つまりこのまま小沢一郎の政権を自由にさせると数十年続いた自民党政権の中で絶対バレてはまずい金や利権、たとえば飛行場の工事業者から入るリベートなど今まで長期安定政権のため高級官僚や政治家さえ黙っていれば絶対バレない収入源などが民主党政権になった今、バレる恐れがある。
そのため政治家は自分自身と一族のため、官僚は自分達の組織が潰されない為必死になって共同で潰しにかかっているのだ。国会議員や芸能人の二世三世が多いのは親の美味しい生活を見ているからだ。又芸能人はいいとしても政治家がどう見てもその器でない息子や娘を跡継ぎにするのは他人に言えない利権があるからだとしかいいようがない。それが民主党の政権となり全て身包みはがされるようあからさまになると埋蔵金ならぬ合法、非合法の収入源や利権が明らかになってしまうのだ。これは困る、命取りになるかもしれない。
この際以心伝心で傷もつ連中が大っぴらに出来ないので以心伝心で協定を結び民主党否小沢一郎を引きずりおろす強い働きがあったのかもしれない。クリーンな政治家など望むべくもないが、自民党が国会で民主党を追及しているのをみると姑の嫁いびりのようで、反対に民主党の議員がこんなに悪くなったのはお前達自民党が金でやったことなのだ、だからお前達の尻拭いで苦労しているのだと開き直ると一言も返す言葉が無いのを拍手したくなってしまう。又マスコミも今まで体制べったりのNHK、読売新聞、サンケイ、検察など民主党政権がこの先ずっと続くとどう変わるか見ものです。今まで通りに反体制派となっても主義主張を変えずに批判勢力 存在し続けるのか、くるりと態度を変えて体制べったりとなり民主党の提灯持ちの記事を書くのかよく見ておきましょう。小沢一郎への批判記事が少なくなった時の読売、サンケイ、鳩山由紀夫へのよいしょ番組でも多くなったテレビ界は要注意ですね。
カレーライスとライスカレー共にらっきょうにカツを加えてカツ(勝)カレーになったのは民主党だが、このカツカレーも最近揚げたてよりかなり鮮度と味が落ちてきたがもう少し様子を見よっと。
安くて嬉しいばかりではない
先日午後の食事時間の合間に栃木県の肉料理の老舗レストランに3人で入り2時間程話し込んだ。3人でコーヒー2杯づつ合計6杯勘定が480円、えっと本当ですかと思わず店員さんの前で念を押してしまった。数時間後、私の乗用車のエンジンカバーが一部はずれ音を立てるようになり通りすがりの自動車修理へ入り修理して頂きこれも1000円でした。
あまりにも安いお値段が1日のうち2回もあったのでなんだか嬉しくなってしまった。しかし待てよ、何でもかんでも安くなったが買う時は財布から出る金は少なくてすむがどうやら最近そうも言っていられなくなりつつある。自分のところの商品もどんどん値下げしなければ売れなくなったし、その分利者も少ないし、嬉しくもないので娯楽などにはお金は使わないようになった。スキー場の話だがリフトの一日券が売れなくなったそうだ。1回づつ買って数回滑りあとはゲレンデで遊んだり、彼女とお話したりして午後になると早めに帰ってしまう。1日券を買って十数回も滑り元を取ったとまた早く上手になれば嬉しいななどと感じるのは今は昔の話です。少子化か、価値観の多様化か、うちの5歳の孫もスキーへ1回連れて行ったが、寒くて嫌だと言い2回目は行こうとしない。スキー場付近の宿泊施設も大変だ、高速道路が1000円のためほとんど日帰りだ。以前は土・日泊まり日曜日も空いているスキー場で充分滑るなどが日曜日に滑るスキー客が皆無となったと嘆いていた。日曜日だと1000円で帰れるからだろう。
冷水が地方や若者に全て行き渡り死んだような日本、どうなるのだろうか。
いつかいい季節が来るのだろうか。編んだ縄のように良い事と悪い事が裏表に変わりばんこにくるといいのですが・・・。しかし上を見ればきりがないがまだまだ日本は幸の方だ。ただ今までが良かったのでこたえるのだ。終身雇用、不動産の値上がり、全て順調に過ごしてきた日本経済。終戦から食料、繊維、家電、自動車、建設不動産と10年ごとに経済を牽引する主力産業があり、真面目に勤めれば家を持ち自動車通勤、当時の後進国の中国やアジア諸国から見れば羨ましい限りだったが国民全てが中流意識を持ち前途幸せ、ずっと続くと思っていたがこの有様です。はかない中流意識だ。あんちゃん姉ちゃんが外車に乗り1DKのアパートに住みゴルフ旅行に懲り幸せを謳歌していたのはつい最近です。十年前誰がこの様な日本を想像しただろうか。我々小企業はバブル時機にいもたいした大儲け等夢のまた夢、バブルが崩壊してもほとんどが低迷期を過ごしました。政府は煽り立てるように景気の浮揚をアナウンス効果を狙ったのはつい数年前です。今度は騙されてはいけませんぞ。おのおのがた。
発展中国 不動産バブルと生きている
現在中国特に大都市の不動産バブルがすごい。年30%から50%の値上がりのところもある。ほんの一部の人達だけがある金にまかせて買いあさっているのですが、先日北京市内の一等地の商業ビルと住宅の分譲マンションを見たが、一戸日本円で3000万~7000万~億ションが1000戸ほど分譲された。中国版六本木ヒルズだ。昨年の秋で80%が売却済だそうですから今年も2ヶ月経っているので多分全部売れているだろう。中国の分譲で日本と異なるのは買うとすぐ売主の不動産会社が同列の子会社がサブリースすることがあある。ここで5年とか7年とか賃貸にて家賃を保証するのです。オリンピック以降経済成長率が鈍化したとは言え昨年は9%の成長率でした。日本の成長率実質マイナスに比較するとまさに逆転したのです。中国人が日本の不動産やスキー場、ゴルフ場などを買いあさっていることもあるのですが、このバブルはいつまで続くのか。あと2年ぐらいと中国の友人は言うが、根拠は示されない。上海、北京、広州の三大都市の賑い活気は日本と比べると圧倒されるほどすごい。活気が伝わってくる。いよいよ日本も中国の追いつけ追い越せにとうとう抜かれたか、貿易、外貨準備高、GDPなど・・・。
しかし中国で大都会の一歩裏町に入ったら地方の田舎湖南省や雲南省に行くと未だ文化に取り残されたり水桶で30分ぐらいかけて飲料水を汲みに行くという生活をしている人が現存します。特に少数民族の貧困層が多いのですが、あまり漢族との格差が広がると政治問題も含めて暴動が起きたりします。日本の報道ではチベットやウィグル自治区の暴動では中国政府の一方的な弾圧として伝えられるが、中国現地では漢族の言い分は今まで貧しく暮らしていたのを漢族の中国政府が何十年も毎年膨大な資金を貢ぎ込んで生活レベルの向上をさせた鉄道、飛行場、文化施設などなどを作ったのではないかと言う。またチベットでは世界大戦の終了のドサクサ紛れに一方的に武力で統合したとされ、中国政府の悪印象を映画で伝えているが、これもまた漢族に言わせれば、前述の膨大な投資のほか、チベットは元々ダライ・ラマをはじめほんの少数の僧侶や上層階級が国の全財産を所有あとは全部奴隷であった。それを中国政府は解放したのだと言う。最も中国の国営放送と新聞は天気予報とスポーツ番組のみ事実を放送すると言われている程政府の都合の悪いことは報道しない。日本も中国ほど酷くはないが一例を挙げると中国で報道された皇太子妃の雅子さんの男の密友が死んだ。イラクで殺された外務省の奥という人物が雅子さんが外務省に在職していた時に親しかった。その人が死んだのでその原因で雅子さんは病気になったと。日本の天皇家を批判するのを極力避けるように配慮した報道です。4年ぐらい前のことです。日本の報道はテレビ、新聞、週刊誌が政府の圧力か天皇制を信棒する右翼国粋主義者の攻撃に恐れてか報道なしでした。
もっとも現在の中国をいきなり日本のように言論の自由にし、完全な民主主義国家となり生活ベルが上がればどうなるか。中国漢族や沿岸の比較的豊かな広東省や拙江省などは独立を言い出したり、更に少数民族のウィグル自治区、内蒙古自治区、それに例のチベット自治区などもたちどころに独立を要求するでしょう。更に貧困地域では暴動が生じ大混乱になりEUと反対に国家が分裂して以前のソ連が未だ落ち着かず政情不安を抱える以前に中国は大混乱の時代が来るように思います。経済が発展し知識人も多くなり自由な主張、政治批判も堂々と行いましてや反体制側はインターネットでの主張に中国政府は躍起になって報道規制を行っている。現在の実情から予想すれば予想するに恐ろしいことになりそうです。共産党一党独裁をゆるやかに徐々に政治を民主化していくしか方法はないでしょう。
NHKにっぽん大転換を見て
名の通った各界の人達が、菅副総理を囲んでのトークバトルですから普段あんまり見ないテレビを見た。よくテレビに出る人達は塩川元自民党、金子康広大学教授、安藤建築家などそうそうたるメンバーだ。
塩爺さん自民議員ですか民主党政権の中枢にいる菅本人にはいささか入れ込み、つっこみ、戦闘的ですらに見えた。
景気の見通し、経済の成長戦略、日米関係と続き最後に日本人の暮らしはどうしたら良くなるかというテーマでした。
各人がボードに書き込んだ結果の共通点は特に具体的にどうするかの視点はない。
民主党から何も具体的な対策がないことを突っ込んだ。
塩爺も期待したが他も単なる精神論のみの自己責任とのことでした。全体として社会的弱者に目を向けた考えは少なく頑張れ頑張れの応援団に映る。
よく考えてみれば、このメンバーは全員功なり名をとげてテレビに出るまでになったリッチマンたち、もちろん若い時苦労した生活体験建築家の安藤なども混ざっていたが今では世界的に有名な建築家だ。
多分建築家ですから現代技術のすいを集めた自分が設計した立派な家にでも住んでいるのだろう。
例えば日本を良くするためには大企業の社長さん、今回出演の一流各界の人達のリッチマンたちはボロ家に住み自転車と地下鉄で動き回り税金も50%以上支払いそれも喜んでこの財源にて老人福祉、子育て、ホームレス対策として金を使うことにしたらどうだろうか。そうすれば安心して暮らして安心して死ねる。つまり金持ちが稼いだ金は自分のものだけと考えずに社会全体のものと考え、社会的弱者の貧乏人に喜んで還元するという考え方が定着すれば立派な先進国、文化国家となるはずだ。
稼いだものは全部自分のものを何に金を使おうが勝手だという後進性が世の中を悪くしていると思う。戦後の日本、経済第一主義はいい学校いい会社いい生活を最大の幸せと考えたこの始末、精神的に成長が遅くて先行した成金国民となったのこの始末。大切なものを失い暮らしにくくなった連帯感の喪失、そう言えば子供の頃親達が遅くなって帰宅すると隣近所に白飯や釜戸の火種など貰ってこいといいつけられ、子供ながら少し恥ずかしながら隣に行ったが気持ちよく分けてくれたのを記憶している。こういうことから連帯感が生まれるのかもしれません。
今は壁がひとつ境のマンションでも知らない他人。金が無くなればホームレスになるしかない世の中。昔のほうが貧乏でも暮らし良さを思い出す。貧乏人のひがみか。
友人 右京丸御夫妻への返信
拝啓 師走のみぎり右京丸家におかれましてはご健勝の段真心込めましてお慶び申し上げます。今般丁重なるお便り頂きまして恐縮至極に存じ上げます。
過日の晩餐会でご主人様は皇族皇室の多くを輩出している有名大学教授としてご活躍していたそうな、ご夫人は皇族皇室のご子息の家庭教師やピアノの御指導をなされていたとこのこと、いささか驚いていた次第です。気さくな人柄、偉ぶらない庶民的な雰囲気でいい友人に出会ったと妻共々喜んでおりましたが、今までの経歴をはじめてお伺い致しましていささかびっくり致しました。失礼ながらこれからのお付き合いが長続きするよう心からお願いいたしたく思っております。食事の後のカラオケではカラオケが始めての奥様も元々音感にすぐれていたのですぐに慣れ、持前の学習意欲をすぐに発揮し、クラシックから艶歌はてまた民謡までばっちりマスター脅威を感じるほどでした。外国生活の長いご主人も艶歌大好き人間で特に美空ひばりの歌がお得意で感動させられました。又、ご主人には教え子の鳩山由紀夫、邦夫兄弟の天才的な優秀成績のことを伺い、なるほどなるほどと頷きながら興味津々と聞いておりました。
一方私共夫妻は相変わらず平々凡々の毎日ですが、一昨日の金曜日の夜より近所に住む孫達4人が日曜日の夜までしっかり遊んでゆき、てんやわんや夕食が終わり一族郎党が帰って静寂は訪れたのですが、同時に疲れがどっと出て女房は早々と床についてしまいました。
寝つきも早く鼻福提灯にて世界平和を貪りつつ、いびき、歯軋り、寝言、寝放屁(ねべ)のフルコース合唱、早くも元気回復しそうです。
方や私亭主は飲みすぎ、過労死寸前、レバーを病み禁酒1ヶ月のドクターストップのありさま、誠に心苦しい師走となっております。それでも女房殿が確実に回復する明日からは仕事の他家事手伝いの毎日となるのは必死で、子守、30キロの米の精米、包丁研ぎ、猫の額ほどの庭の掃除と鉢植え、アイロン掛け、洗濯物取込云々家事一般の業務に励まざるを得ません。もうそろそろ楽しい老後、やりたいことがいっぱいあるのにまだまだ仕事と家事の毎日です。
御心配して頂いた風邪など昔からの譬え通り馬鹿は皆同じで当社当家においては揃って心配後無用でございます。
この期に及んでは何も深く物事を考えずに漸く白い帽子を被った上信越の山々を眺め鍋でもつつきながら加えて美しい奥様も同席頂き楽しいひとときを過ごしたいと日々思うこの頃でございます。
次回のお目にかかるのを楽しみにしていています。 敬具
師走 安藤
☆中国パートⅡ
世界三大料理、フランス料理、中国料理、イタリア料理または日本料理または韓国料理、のひとつ中国料理はその種類からではやはり世界一でしょう。民族分布の広さ、冬は零下30℃まで下がる黒龍江省から毎日夏の海南島南部までその他少数民族の多くすむいわゆる昔の西域のイスラム料理、先日暴動のあったウイグル族のウルムチから朝青龍の故郷モンゴル共和国を囲むように位置する内蒙古自治区の羊料理などその種類は様々です。
ホテルのバイキング模様を見ると中国人はほんとによく食べる。2つの大皿に山盛りというのをよく見かける。普段の食生活から反動が出るためか、この時とばかり喰らいつくようです。それによく喋る。広州の飲茶店にて200人ぐらい入るホールはすごい。うぁんうぁんうなる様な一大イベントが毎日だ。それも朝と昼はすごい。その間をぬって広東語で大声で売り子さんがおせんにキャラメルならず料理名を叫びながら料理を蒸し器のついている手押し車に飲茶を載せて席の周りを回り注文にその場で料理を渡す。
ひとつ困ったのは中国ホテルの定番バイキングでは中国人のほとんどが口にものを入れたまま次の料理をとりにゆく。歩きながら何回も席と料理の間を往復する。
音を出す。口をシーハーシーハーとだ。
食べ終わると道端でガラガラペーとはよく見るがさすがホテルのレストランではガラガラのみをよく目にする。
北京の裏通りや田舎町でのレストランにはその価格の安さに驚くがちょっと危ない感じがするが不潔、食べ物が何だかわからない。
目の前で火の通しているものは大体大丈夫だし中国人もたべているから大丈夫だろうと思って食べてみると意外とうまいものがある。
夏は半ズボンに上半身裸か下着のシャツを胸までたくし上げるながら、汗をかきながら路上の屋台で昼食など1元15円ぐらいでうどんなどを皆食べている。人通りは大勢、その数の多さ、喧騒はすごい。どこからか人間が涌いてくる様だ。
1日中人が切れない地下鉄の駅付近。ディーゼル車、排気ガスのにおい、汗、体臭、騒音皆まざって大きな力となって迫ってくる様だ。歩いていて思いきり屁をひってもすぐかき消されてしまうので、知らん顔していさえすれば思い切りぶっ放しても大丈夫。但し、習慣上たち小便する人は見ない。
動物と同じだと考えると聞いた。中国人の留学生が日本に来て一番驚くのは礼儀正しい日本人が道端で立小便を見ることだそうだ。
反対に手鼻は田舎ではよく見る。女性もだ。失敗して手に鼻汗が付着すると駐車場の車のサイドミラーなどにこすり付けている。
このガラガラペーは普段は中国の空気が悪いせいか乾燥しているせいか紙がないためか、一般人民の息を吸ったり出したりするのと同じように考えているぐらいです。安食堂の席の隣の連中にやられるとたまらない。食っている最中でもやめて外に出たくなる。しかし当人はニコニコ話しかけてきたりする。お前何人だなどと、憎めない奴だった。
☆中国パートⅠ
このノモンハン行きは予定計画したからではなく長春市の友人が旅行会社の国営旅行会社の幹部で、一般の人は行けないが特別な方法で行けるから行かないかとの誘いに乗った。特別な方法とは国境警備隊に寄付金(ワイロだろう?)を払うのだ。ハイラル市のホテル、通訳運転手1泊2日で1人75000円、ちと高いが叔父もここで戦死しているのでまあいいっかと奮発して決行したのです。
中国、モンゴル、ロシア、この3国の国境近くに1939年に生じた戦争跡ノモンハンがある。中国語では諾謀汗と書きますが、元々蒙古語の地名です。当時ここで死んだ日本人兵士は54000人、小松原本部司令官は責任を感じてハイラル市でピストル自殺した。元々この紛争は国境争いから生じたもので蒙古、当時のソ連が主張する国境はこの地域を流れるハルハ河から東へ20~30kmと大変大雑把な主張、一方日本の傀儡、満州国の主張はハルハ河が境界、国境だと主張した。そこで2度の争いになりましたが、1939年は2度目の争い、日本はソ連蒙古軍にボロ負け。理由はいくつかあるが、司令部のあるハイラル市から現地まで私は車で約3時間、それも行けども行けども自然の草原のみ時速100K~120Kで運ちゃんが飛ばす。時々トラックがすれ違うだけ、また草原には馬の放し飼い、羊、牛がところどころで集団をなしている。
日本軍はここを徒歩で戦場まで行軍。水不足、食料不足で下痢や蚊の大群に襲撃されたり戦う前からグロッキーだった。加えて日本軍は日本兵の他蒙古族や満州族、朝鮮族など混生軍団、中国人ガイドの話によるとこの民族の兵士は食べ物、労働などで酷しい差別をしたため反発を感じた同じ民族の相手の蒙古軍に寝返ったりしたそうだ。
更にソ連との武器の近代化の違い。ソ連戦車は50~60トンの砲身の長いタンク、日本はその1/3~1/5の小型タンク、タンク同士がぶつかると日本のタンクはソ連のタンクに上にのしかかられてつぶれてしまったそうだ。現地は大草原で地面に穴を掘って隠れるしかない。私の叔父もここで戦死して遺骨も何も無い、血のついた腹巻の一部だけ遺品だと渡されたと聞いた。更に日本軍の始末の悪いのは当時中国では毎日勝った勝ったの日本中大騒ぎ、100人切の兵士が英雄扱い、マスコミが調子に乗って連日囃したてる。昭和20年の地獄の*敗戦に向かってまっしぐらなのに。だから大本営はこのノモンハンの大敗戦を隠しに隠したのだ。
まず生き残った兵隊には自殺を強要したりして秘密にした。遺族には手厚くお金お墓を国から与えた。私の叔父も川口市の寺に我家に不似合いな高さ3mもある立派な墓石を貰ったのを子供の頃母に連れられて見たことがある。北海道の炭鉱の3男にこんな立派な墓を立てたのは前述の国策だった。
あたり一面の草原しかなかったが小さな村に着き、地元案内人の雑貨屋の蒙古族のおばさんを乗せ国境警備隊の建物に、建物に入らず門の外で待っている下士官らしき2人の兵士が来てパスポートを見てすぐOKのサイン、ここから道のない草原を20分ほど行った所がここですと通訳が指差す。60cmぐらいの高さの石碑が中国語で書いてある。ノモンハン戦場跡と。ここで満州国ソ連の手打ち式にて停戦成立。54000人の死体をここでガソリンをかけ焼いたのだ。合掌。
ところどころに鉄かぶとやかんづめの焼け焦げたのが散らばっていた。よく見ると人骨らしきものもあったが迷った末手に取ったが捨てた。
元々ハイラルに戻り翌日は日本総司令部跡を見学、司令部らしく小高い丘にてハイラル市が見渡せる地下30m~50mに通信司令部、兵隊官舎、炊事場、病院、通信室などがあり相当な労力を当時費やしたことがしのばれる。この地下壕司令部を数千人中国人苦力を使い工事終了後秘密保持のため全員を銃殺したのだ。
数キロメートル離れた所に万人杭と呼ばれる殺された苦力の墓地があるとのこと誘われたがさすがに断った。
村の選挙
パートⅠ
昭和50年代の初めの頃、群馬県K村に会社としてロッジを建てることになった。村営水道を引くのに社員とお客様の二人がいつもの定宿に住民票を移すことになり、二人とも20代前半で当然選挙権はあった。この宿の娘が村の有力者の経営する会社に勤めていたので宿の主人夫妻はそこの社長さんが立候補したため応援しいていた。
当然こちらの二人に露骨に社長さんに投票するよう強制する。投票日の朝6時頃私と三人で寝ていた部屋に宿の奥さんの方が障子を開けて這うようにそっと入ってきたのに私が気がついた。二人も気がついたようだが、寝たふりをしているようだ。奥さんがそれぞれの名前を声を殺すように「マサちゃんここにおくよ。萩山君ここにおくよ。」と言って封筒を布団の下に突込みそっと出て行った。三人ともガバッと起きて封筒を開けてみると1万円入っていた。朝食が済むと宿のおやじが投票に一緒に行こうと言ってきかない。仕方がないから二人とも村の小学校に投票に行き、指定の名前を書いていたところ、宿のおやじが隣から覗いてほんとに教えたとおりの名前を書いたかと。この社長さん見事トップ当選した。
パートⅡ
それから4年、20人中2人しか落選しない村会議員選挙が始まった。当時飛ぶ鳥も落とす勢い土建屋の社長さんが立候補した。自宅の左隣の家が選挙事務所、右隣が飲み食い処、投票日前10日間は毎日飲めや唄えの大騒ぎ、麻雀、花札のご開帳、負ければお小遣いまで預ける、この社長さんは第二位で見事当選。
当選した後、この社長さん金儲けは上手だが、恥はかいても字は書けないタイプ、議会でも4年の任期中1回だけ、発言というより夜議会終了した後「俺の下駄がねえ。」とこれだけ。
更に村民がこの村会議員の土建屋社長に会いに行くとお前にはすでに金も渡してあるし飲ませ喰わせしてあるので貸しがあるからそんなことを俺に頼みにくるなと。
パートⅢ
昭和60年代バブル期は投票依頼もする1票の価格も値上がりして5万円となる。この頃村は都会から移住したペンションが花盛り。私のところに親しい村人が立候補した。当選するには120票以上が必要だそうだ。どうしても5票不足だという。一人5万円で25万円を私に渡すから、当人に面談したいという。私のロッジのホールで炬燵に3人を待っていると候補者の代理人が来て、「皆様ご苦労様です。皆様には交通費としてお渡ししたいものがあります。」と懐から分厚い財布を取り出し万札を数え始めた。私は慌てて止めて別の部屋で一人づつよくお話をして下さいと別の部屋を用意して一人づつ会って貰うと又ホールの炬燵に戻ってくる。3人終了し帰ろうとすると3人の1人が(奥さん)なかなか帰ろうとしないでもじもじしている。どうしたのかと聞くと、「あのおー。主人もいるんですけど」と。代理人「そうかそうか。」と言って改めて二人で別部屋に入って行きすぐニコニコしながらこの奥さんが出てきた。
村会議員は名誉職で政治家とは程遠いのが実態の人が多いのですが、中には立派な人もいるがこの村では選挙は完全にお祭りです。村の出口入口には夜、見張りが立ち誰が何処に行くのかあとをつける。票読みで他立候補陣営の人間は全てわかっているので、夜何処の家に行ったから、そのあと行った家に心変わりしていないかどうかを確認に行くのです。投票する村民も1票しかないのに3人位から平気でお金を受取る人もいるそうだ。又俺の親戚や村の役職や親しい友人全部で20票ある、全て50万円でどうだなどと売込む奴もいる。どん尻当選と次点落選の差か2票から3票ですから最後に実弾で引っ繰り返すことが可能なのだ。最後に金を使い切ってしまい買収にケチったため落選し自殺した人もいた。
金を貰うとわかると村民は言う。「もらった翌日からフィルムの早コマまわしの如く動き出す人。関係者が集まると発言が多くなる人。普段喰ったことない上寿司の器が玄関に置いてある人。あいつは貰ったなー。」と。