昨年、見よう見まねで花豆を植えて収穫を得ました。自分の山から4.5mの高さの木を切り出し、インディアンテントのボールのように組立てそれを横にいくつかつなげるようにして二列ぐらいに並べて作ります。その前に畑づくりをします。この作業は特に疲れます。
土木作業でスコップで穴を掘るよりきついのです。中腰で長い時間、同じ姿勢で作業します。1時間や2時間ではありません。少なくとも半日たった15坪くらいの畑です。石ころやゴミなど出てきて丁寧にひとつずつ拾いあげて捨てます。次に黒土を持ってきて20㎝程の厚さに畑に盛ります。そして肥料をまき、ポールを立てて組立て紐でしばります。
その後、ようやく種豆を1mおきに1個ずつ埋めます。
沢山収穫を多くしようとして間隔を短くして種をまくと小さい豆しかとれないと地元農民に注意され忠実に1m間隔で植えてます。しかしこれまで一連の作業は殆ど中腰で腕や足にも力を抜くことは出来ません。休み休みやってもかるい疲労は否めませんでした。畑をつくり耕すとは土木作業よりハードルの高い作業です。不慣れなせいか使う筋肉は今までと全く使われ方が違います。そして相当な知識と熟練が疲れない為には習得が必要なのですね。
慣れれば疲れない痛くならないのだろうが、後継者がいなくなってしまった理由は大よそわかる。隣の昭和村では中国吉林省から農業研修生が多く来ているがきつい仕事を朝から晩まで作業をしています。中国人が来なくなってしまったらどうするのでしょうか。しかし農業だけにかかわらず、いわゆる筋肉労働の物づくりが出来なくなって後継者がいなくなると再びつくることはかなり難しいのでは・・・・。多分、再びつくることは出来なくなることになるかもしれません。いったん途絶えたら取返しがつかなくなるのではないでしょうか。昔は額に汗を流してものを作る人が人口の半分だった明治初期。現在では都市生活者が増えてものづくり人口がどんどん減少し遠ざかっていく。
額に汗して働くのが一番大切ですが家畜を育て、土地を耕し、山に山菜を取りにゆく、大豆を煮て自分で味噌を作る、そして美味しいものは村の外に出さないで自分が食べる。自宅から1㎞以内で取れるものだけ喰ってりゃ間違いはないと言われてきたが本当に美味しいものは自分でつくり自分で食べるのが基本で、余ったら売ってやるとでいいのです。
収穫後に残った青トマト、私の作った特大の花豆、自家製の味噌、釜を沸騰させてから畑へ取りに行ってぶちこむトウモロコシ、自然のなめこやしいたけ、本当に美味しいものは自分で食べるべきだ。農業も伝統芸能やプロの職人ワザと同じで身体で覚えるものですねと思い知らされたのですが、覚えている身体が少しづ忘れて後継者が消えてゆく時代です。この先心配は年寄りの冷水ですかね。
昨年秋、花豆大小大きさはまばらですが1㎏位はとれ家族だけで食べてしまいました。
花豆はごとごとと半日も1日も火鉢の上で煮詰めるのでした。馬鹿に煮らせろなどと言われてきましたが、私も美味しく煮ることが出来ました。