東京から200kmも離れた福島第1原発事故現場の影響はその大きさにそら恐ろしくなる思いです。
東北大震災と原発事故の3日後の昨年の3月14日、群馬大学教育学部教授(火山学)の早川さんが大量の放射能が漏れ出したため計測。汚染の流れを地図に記したものを4月8日にインターネットで配信しました。大変な作業であったことが予想されます。放射能は地表をなめるように風に乗って移動しました。その頃私は宮城県川崎町の事務所に、社員のためガソリンや食料を届けに群馬から車で2往復ほどしていました。
このとき放射能は、原発から南方向へは3月15日4時にいわき市から茨城県へ、分かれて一方は宇都宮市に10時半に到達、別の流れは西に行って郡山市へ午後2時に達しました。
茨城県で分かれたもう一方は日立・水戸・つくば市など茨城県を総なめにして松戸・三郷へ、夜9時に東京新宿に到達した。また、宇都宮からは日光方面へも流れた。さらに群馬県太田市・本庄・高崎・軽井沢から東へカーブして吾妻郡・沼田市までに及んだ。
風向き・雨の強さによって放射能の濃度は濃淡があり日時も風まかせの状況だったのですが、ともかく福島県にとっては悪魔の風となった。
早川さんが言うには原発爆発時間と汚染経路は合致しない。大量の放射能が流れたのは爆発時間ではなくしばらく時間を置いて音もなく静かに漏れ出したとある。ちなみに爆発時間は1号機が3月12日15時36分、臨界などと彼らは言うが本当は爆発です。3号機は3月14日11時1分に爆発した。私はこの時1号機の爆発をテレビで見ていました。建屋が吹き飛んだのを目の当たりにしたとき、テレビ解説していた原子力関係者やどこかの教授はなんと言ったか。大ウソをついたことになる。「これは水蒸気爆発で周りを覆っていた建物が吹き飛んだだけで原発の臨界ではない。炉心溶融の原子力発表??の臨界ではない。」と。私は少し安心していました。今考えるとこの時既に爆発していたのです。小出・嘘・隠ぺい。専門家・政府・マスコミ揃って国民をだましたのでした。
私はこのとき福島県の国道4号線を車で2往復していました。今考えても背筋がぞっとしてくるのです。4号機も爆発の恐れがあったのですから。
今年になってから判明した群馬県内の汚染も酷いものでした。赤城の大沼や榛名湖の冬の名物公魚つりが出来ない程汚染されてしまったり一匹もいなくなってしまったのでした。3月1日が解禁日ですから漁業関係者はその前日までてんやわんやの大騒ぎ。解禁するかしないかで大もめ。条件付きでようやく解禁にこぎつけましたが、釣るのはいいが持ち帰りはなし、食べることも不可。この看板を立てるのも大変だしシーズン券の買戻しまでのおまけつき。踏んだり蹴ったりでした。又、農作物も大打撃を受けました。こんにゃく・しいたけ・米・りんご・薪・しいたけのほだ木と影響は甚大。作っても出荷停止ですから。東京電力へ損害を持ち込みたいが証拠集めと煩雑な申請書。そして微々たる損害金。やる気もしないと・・・。
ある村の村長は村民にこう伝えた。「騒ぐな、じっと我慢しろ、時が経てば治まる。騒げば騒ぐほどマスコミに取り上げられ、あの村は放射能がこんなに多いのだと宣伝するようなものだ。観光客も来なくなるし村から人が出て行ってしまうし村が全滅してしまう。だから沈黙しかないのだ。」と。
どこにも持って行けない不満が爆発しなければいいが。東京電力の経営者はカエルのツラにションベンで、テレビで見ても全く反省なし。その上17%の電気料金の値上げだと!
社長を始め経営者は頭を剃って切腹ものなのに。韓国や中国だったらすぐ社長副社長は死刑そして公開銃殺か??か懲役です。
放射能の影響は長い年月もうちに必ず人体悪い現象が現れるのはチェルノブイリで証明されています。奇形児・小児ガンの増加・大人のガン・甲状腺の病気も既に現れています。福島ではこうなったら子供だけでも内部被爆・外部被爆を防がなければならない。日本人はおとなしいし無知だ。抵抗しなければなりません。
ロマンロランが言う。『立て民衆、おまえは自分の力を知らないのだ。たとえ戦いはしなくとも、もしおまえが否と言えば暴君は倒れるのだ。』暴君を原発に変えるだけでいい。今まで原発を許した自分自身にも、後世のためにも。
遠くて近きは福島原発放射能
遠くて近きは年寄りの小便
我々先の短い年寄りは近くなった小便ぐらいで済むが、後世のため子供たちは何とかしないと死んでも死にきれなくなるかもしれません。