去年の夏の暑さは異常であったことは記憶に残っていますが、あの夏以降気候の変化には極端な変化はないが暖冬の予想が以外に寒い冬で雪が多い場所と少ない場所が極端に分かれていました。群馬県利根地方は雪が少なく特別気候が下がったようでした。特に3月に入ってからの気温の下りようは異常で、寒い冬は雪が少ないとの定説通りであった。3月は石油の値上がりでスキー場にて暖房がおいつかずやむなく土日もリフト休業のスキー場も数ヶ所ありました。思い出せば昨年の秋、事務所の裏庭に植えたしいたけとなめこが逆の順序で収穫があった。例年ならしいたけが先に獲れて、なめこがあとから獲れるのに反対で、遅いしいたけは不作で大きく育たなかったのです。そしてこの大地震です。気候の変化が少なからず影響した結果との証明が出来るはずもないが、降れば必ず土砂降り、カラっと晴れては又すぐ土砂降りの亜熱帯気候に近づいているのは事実で地球温暖化は体感しているようです。5年前の新潟中越地震も、地震の前の6月に大雨が降った。一説によれば大量の雨の重さで長岡地方の地盤が水の重さに耐えきれず例の山越村などの震災による大災害となったとの見方もあります。目に見えない変化が気候の変化と共にじわりと植物、動物の変化などこれから徐々に現象として現われてくるのだろう。今回の東北大震災の3日後の14日に当社の事務所がある宮城県の現場に行きました。電話も通じず、連絡がとれないのでともかく現場へかけつけるしかないと考え帰りのガソリンを積んで午後に出発、夕方到着したが、途中福島県内はところどころ灯りが見えたが宮城県の県境になりガラリと風景が変化した。宮城県はともかく真っ暗闇、4号線の店舗は全て閉じて多くの民家の瓦屋根の最上部がブルーシートで覆われていた。地震のゆれで壊れたのだろう。夕方7時頃、現地事務所に着きましたが、電気、電話、上水道は全て通せず、飲み水はかろうじてポリタンクにて確保、食料も東京からの二食分の弁当やおにぎり持参、トイレは汲み置きの農業用の500ℓ入りのポリタンクからバケツに入れ直して手でザァーと便器へ流す。少し様子をみたあと事務所より一番近い場所に住む50歳代の女性社員の家を訪ねる。真っ暗の田んぼの畔道と辿りつくと家の中に母親と二人きりで炬燵に入りローソクを1本たてて二人でじっとローソクをながめていた。びっくりして私の方を見たあと私を確認すると、何もすることないからもうすぐ寝るのだと。ここ数日、事務所へ7kmを2時間歩いて通ったという。脱帽!!まだ寒い東京地方の寒さ、炬燵の暖房は何かと聞くと、飼育猫二匹とこういう利用の方法もあったのかと。その彼女は地震のゆれの後遺症で目まいが続きとうとう1週間ほど入院する羽目になった。当社管理の分譲地温泉配管も4ヶ所破損し電気止まっているので当然、温泉源からの汲み上げポンプも作動せず給湯中止のままであった。翌日、分譲地も見回り通勤用のガソリンと食料が必要は社員二人のため群馬事務所に保管してある食料と燃料を取りに引き返しました。途中、福島県内の国道4号線を走る福島ナンバーの運転する人はほとんどの人はマスクをつけていた。多分すでに地震から3回ー4回のうちに原発事故の放射線漏れに気づいていたのだろう。とって引き返しガソリン100ℓ食料積めるだけ積んで再び宮城に向かったのは又翌日の15日頃だったようだ。