中国四大美女として西施、王昭君、貂蝉、楊貴妃がいる。それぞれ欠点があり、西施は大根足、貂蝉は耳が大きすぎてその耳が反り返っていたのでわざと重いイヤリングをつけていたとされている。
王昭君はなで肩(中国ではなで肩が恥ずかしいとされていた)、楊貴妃は脇が(玄宗皇帝も大変だったね)だった。今回は耳の大きな貂蝉を取り上げてみる。
後漢の時代、献帝の治世は乱れに乱れて首都洛陽は董卓という武将が権力を一手に握っていた。この人物、横暴の限りを尽くし献帝も皇帝でありながら、董卓のあやつり人形だった。この董卓を倒し新たな羅権を得ようと後の三国志の主役達が連合して洛陽に向かって攻める。魏の曹操、呉の孫堅、蜀の劉備達だ。
これに恐れをなした董卓は都を長安(今の西安)へ遷都する。残虐な董卓は当時百万人いたとされる全人民を三百キロも離れた長安へ強制的に死の後進をさせる。少しでも遅れたりした人民は忽ちのうちに殺してしまう。又、敵に内通した疑いのある高官をひっ捕らえ朝臣列座の中で首を切って、その首を大皿に乗せそれを肴に酒を飲めと皆に強制するのだ。皆は生きた心地もしない。この酒の席で一人の高官がクーデターを企てた。
王允という。王允の邸宅に囲われていた歌舞伎の奴、言ってみれば妾か女奴隷である絶世の美女貂蝉が登場する。賢い彼女は主人の王允の気持ちをよく理解し、身も心も命さえもささげる事を誓う。王允が考えたのは暗殺だ。
董卓の部下に呂布という勇猛な武将がいた。董卓の側近中の側近だが、その性格は董卓に輪をかけて残虐だ。暴虐、大酒飲み、女たらしときて現代版タイガーウッズだ。二人とも女色に弱い点で貂蝉を使い三角関係をつくらせ、呂布に董卓を殺させるという手なのだ。これが世に言う「連還の計」だ。
まずそのⅠ 呂布を王允の家に招待し貂蝉がホステスをつとめ盛んに呂布に秋波を送る。女湯しの呂布は一級の美人からウィンクを送られてすぐメロメロになり、心をとろかせてしまった。このチャンスに王允は呂布に「近いうちに貂蝉をあなたに差し上げましょう。」と切り出す。呂布は天にも昇る気持ちで帰っていく。
中国では当時女性は人間として扱われることなく、物や戦利品として扱われていた。現在でも人権などあまり認められていない国なのだが・・・。
そのⅡ その翌日、今度は董卓を招き、又貂蝉の虜になる。短気な董卓はすぐに馬車に乗せて連れ帰ってしまう。
そのⅢ 呂布がまたきて貂蝉いないのをカンカンに怒っていたが、王允は呂布に向かって「董卓様は吉日を選んで呂后と貂蝉を夫婦にしてやろうと連れて行ったのです。」と嘘を言う。その頃董卓は貂蝉に溺れ切っていて、そんな気持ちさらさらない。焦った呂布は待ち切れずに貂蝉に言い寄るが、彼女は涙を流して董卓の乱暴ぶりや悪口を訴え「あなたと一緒になれないなら、いっそ死んでしまいたい。」などと口説く。
このあたりは今も昔も同じで女性が好きな男性に自分への関心程度を探るためのジャブで常套手段でもあり、男心を捉える為によく使う手だ。
殺意を生じた呂布は親分の董卓を殺す密約を王允と交わした。何も知らないで朝廷へおびき出された董卓は兵に捕らえられてしまい「呂布はどこだあ、助けてくれ。」と叫び、踊り出た呂布にあっけなく首を飛ばされてしまった。あな女は恐ろしや。この後呂布と貂蝉も数年後に殺されたり死んでしまう。
美人とは関係なくもう一人烈女を紹介する。但し食事時は避けるよう申し上げておく。
この前の漢の時代の話、漢の高祖劉邦は天下を取った後、苦労をともにした糟糠の妻呂后をないがしろにし、若い側女威夫人に溺れる。又々威夫人は劉邦との間に生まれた息子如意を次の皇帝にしようと考えていた。
憎憎しく思っていた正妻の呂后は「ババアだと思って馬鹿にしやがって、今に見ていろ。」と日々思っていた。威夫人にとって不幸なことに劉邦が先に死んだ。
呂后は威夫人をひっ捕まえ、まず息子の如意を毒殺する。次に威夫人の頭を剃り、首に鉄の枷をはめ、囚人服である赤色の衣服を着せる。そこで終日米をつく罰を科した。
憎っくき威夫人を一思いに殺すことをせず、じわじわとなぶり殺しにして恨みを晴らそうとしたのだ。さらに両手両足を一本ずつ切断し、焼火箸で両目を潰し、くりぬき毒薬で声を奪い耳を削り落とし便つぼの中に入れて人豚と名づけた。
中国では今でも農村に行くとトレイに豚を飼っていて、人間が用を足すとき、下で待っていて人糞を食べさせる。処理も出来るし豚も肥えるし一石二鳥だ。
出血多量で死なないようにしばらく生かしておいたというから凄まじい。
くわばら、くわばら。 『十八史略』より