わたらせ渓谷鉄道にて足尾鉱山跡を訪ねてみた。
群馬県桐生駅から第三セクター鉄道わたらせ渓谷鉄道に乗る午後3時頃、桐生市は昔から織物の町で発展したが今はさびれてしまってパチンコ機械製造の会社が一時羽振りを利かせたが他市へ行ってしまい全国の地方都市と同じように昔を知っている人にとっては寂しい限りです。
第3セクターわたらせ鉄道に乗りこみ大間々の町に入ると渡良瀬川の右岸を走るようになる。上流に草木ダムもあるためこの川の水は少ない。日本全国特に太平洋側の河川は総じて水量が少ない。隆々たる流れなどは河口の近くに行かなければ見られない。
途中から大手ツーリストの主婦の観光客が1両編成にどっと20人ぐらい乗り込んできた。関西弁で70歳代の人達だ。カメラで窓から写真を撮る人、仲間の処を歩き回る人、外の景色はそっちのけでしゃべくりまわるオバタリアン。その他は地元高校生が帰宅する社内。ローカル色満点だ。列車は左岸に渡り草木ダム近くになると長い長いトンネルに入る。薄暗い車中にやわらかくて心地よい関西弁が聞こえる。
桜が満開の駅でこの団体客は下車し車内は静かになった。トンネルに入りトンネルを出るともう足尾が近い。
足尾鉱山が国策にて隆盛をきわめたこの町は戦前は宇都宮に次ぐ栃木県第2の規模の都市であった。当時6万~10万とかの人口が現在は2000人だそうです。鉱山町特有の軒の低い家が並び廃墟と化した建物が目につく。草むらに小学校の門柱だけが建っていた。人のにおいがするのだがうら寂しい気持ちになる。映画館、遊郭などの跡地も見学。戦争前は銅を産出、鉱毒事件は下流の足利市などで生じて公害の原点といわれた足尾鉱山だが銅を採取した後の残土を町中あちこちに捨て、小学校の校庭にも捨てた。捨てる場所もなく渡良瀬川へこの残土が入りこみ公害となったのだ。銅を製錬する時に出る煙が周囲の草木のほとんどを枯れさせてその結果、山が崩れ閉鎖した。今でもその防止のための土塁工事や植林が行われている。
戦争中ですから文句を言えばお国のため天皇陛下のため頑張れと言われ我慢するしかなかったのかもしれない。ここで産出する銅が3パチ歩兵銃や機関銃、大砲の玉になったのだろう。当時、強制労働の中国人も数千人いたとも聞くが、事実ですからこのつけは未だはらわれていない。中国が強大な力をつけ20年後にGDPは日本を追い抜くのは確実なので今のうち正式に国家として罰を認め謝罪をしておかないと何倍もつけを払うようになるかもしれない。近代日本史の負の遺産だがつい最近の60年ぐらい前まで栄えていた町が急に寂れたこの町をみると今すぐ元の映画館や小学校が現われてくるように脳裏に浮かぶのは何とも栄枯衰盛をしみじみ感じ入りうら寂しい限りだ。
いろいろな歴史があり時代に翻弄された足尾の町を通り終点間藤駅に着くと4月中旬だというのに前年より10日も早い桜が満開であった。