芥川龍之介の羅生門に出てくるこの世の地獄は、
ある寺が不景気のため荒れ果てて、それを良いことに狐狸が住み盗人が棲み、しまいには引き取り手のない死人をこの寺に置いてゆく。
気味悪がって誰も近寄らないがカラスが死体をついばみにくる。そこにある下人がやってくる。お屋敷を解雇されたあてもないどうにもならない下人がやってくる。寺の付近では餓死した死体を犬が喰っている。自分もそうなるかもしれない。選択肢は限られている。餓死するか盗人になるか、しかし勇気がない、と。しばらくして門の中の2階に物音が聞こえおそるおそる登ってみるとやせこけた老婆が死体の毛を1本1本抜いてそれを食べている。死人になっても髪の毛と爪には栄養が回るから喰って生き延びていると老婆は言う。下人はこんなひどい事をする奴は許せんと老婆を引き倒し老婆の衣類をはぎとり……。とある。
解雇された契約社員はホームレスになるしか方法がないテレビに出てくる人達を思い浮かべる。残された方法は連帯だ。連帯しかない。そもそも労働組合の発生思想はここからだ。資本家に対して力もない金もない体を売る労働だけの労働者は団結、連帯しかないと気付いたのだろう。やけになって秋葉原など誰でも良かったから殺したなどと決して考えてはいけない。