今でこそ三井不動産、三菱地所など大手不動産会社の名前は上場会社として当然信用、知名度は抜群で中小不動産も最近ようやくその社会的地位を認知され始めたようですが、まだまだその信用度は低い。
昭和30年代の不動産業は銀行の信用度も薄く、朝鮮、金融、不動産、バー、キャバレーと信用度の低いワースト3に入っていた。
別名しゅうせんや(口ききや)せんみつや(千のうち3つしか本当の事を言わない商売)など陰口を言われたものだ。確かに私達の先輩の行儀は良くない面も多々あり誇大広告や架空の囮物件でお客を集めるなど数多い。
物件の場所と案内所の場所をまぎらわしく掲載し、物件で人気のある大泉学園と錯覚させ実際の物件は東松山だった例もあり、大泉学園駅前のテントに客を集め運転手つき車でひたすら東松山の物件に向かって突っ走る。その間営業マンはもうすぐですを何回も言いながらひたすら営業トークする。
ようやく到着すると現地には落とし屋と呼ばれる別の営業マンがいて、ギリギリお客を攻めて契約させる。手付金を1万円入れてキャンセルすると売買金額の3割罰金などの契約書でしばってしまう。
それでも買うお客がいる。
不動産屋と乞食は3日やったらやめられぬとも豪語するものも現れる。変わりにせんみつの変わりに万からやとも言われた。
つまり千に3つに本当の事などまだ甘い。万回話にも全部嘘八百だと言うわけだ。
昭和40年代の話し。